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第40回「小説でもどうぞ」選外佳作 だまし騙され 山岡将太

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第40回結果発表
課 題

演技

※応募数317編
選外佳作 

だまし騙され 
山岡将太

 自宅マンションの駐車場を出て三十分が経った。それなのに私はまだ一度もハンドルから手を離せていない。
 私は今、助手席に彼女の徳子を乗せ、森の中の峠道を上っている。郊外の那須山に夜景を見に行くためだ。
「泰成、あとどれくらいで着く?」
 携帯をいじりながら徳子が言った。
「あと、十五分くらいだよ」
「オッケー」
 微かに微笑みながら徳子は言った。
 こんな会話いつもならなんてことないはずなのに、今日は一言交わすだけでハンドルが湿った。
「時刻は九時二十分です」
 ラジオが告げた。
 夜景を眺める絶好の瞬間まで十分になっていた。
 そのタイミングで俺は徳子にプロポーズをする。ジャケットの内ポケットに携えた金の指輪とともに。
 このプロポーズは両親や会社の同僚にも助言をもらい、一カ月前から準備をしていた。
 当日の天候、目的地までの道の混雑、当時までの彼女の機嫌、それらすべてを計算して今日を迎えていた。
 だが私はプロポーズをするにあたって、一つの大きな問題を抱えていた。これが私を余計に緊張させることにも繋がっていた。
 その問題は、私が人間ではないということだ。私の本当の姿は人間に化けて暮らすキツネなのだ。
 このことは今まで誰にも打ち明けたことはなかった。
 これまで過ごした学生時代、そして会社に勤めるようになった今までずっと人間を演じながら暮らしてきた。
 それでも今までは無事に過ごすことが出来ていた。幸いにも学生時代は親しい友人たちに囲まれ、会社でも上司や同僚とは今のところ上手くやれている。
 だが、不都合なことが一つできた。それが彼女である徳子の存在だ。私は両親と暮らしていた時は必ず帰宅すると本来の姿に戻っていた。ご飯を食べる時も、風呂に入る時も、トイレをする時も、家では家族皆がキツネの姿でいた。
 そのように、人間に化けて生活していく上では本来の自分の姿になってリラックスできる時間が必要不可欠であった。
 だが、徳子との同棲が始まってからは安心できる時間はほとんどなかった。風呂に入る時も寝る時もずっと人間の姿のままでいた。
 だから、私は会社と自宅のトイレでしか心を休めることは出来なかった。
 本来、私たちの慣習では私の両親のように人間社会で生きるキツネ同士のコミュニティで出会い、結婚することが一般的だった。
 そうしてキツネ同士で共に生きることで自身のアイデンティティを保っていた。
 しかし、一方で私のように人間に惚れてしまうものも稀にいた。そして、そうした者たちの多くは自殺の道に走ることになった。
 大抵の場合、人間に恋をすると、人間を演じ続ける中で本当の自分を見失ってしまうのだ。そうして居場所を失ったものは山道で轢死体となって発見される。
 そうした彼らのことを想像したときに私はキツネであることを告白しようと決心した。
 そんなことを思い出していると、やっと森を通り抜け、今回の舞台である那須山の山頂に到着した。
 車を降り、手をズボンで拭ってから手を繋いで夜景が見える木柵の下へと向かった。
 ゆっくり歩いていた私を「早く」と徳子が急かしたので木柵にはあっという間についてしまった。
 その瞬間、闇の中で輝く光の群れが私たちの眼下に広がった。
「うわぁ、すごい、きれぇ」
 木柵から身を乗り出しながら徳子が言った。
 その隣で徳子の様子を見て「今しかない」と私は腹をくくった。
「話があるんだ」
 今日初めて徳子の顔を見て私は言った。
 そう言うと、徳子も私の顔を見てピンと背筋を立てた。百七十センチ近くある徳子のスタイルを、羽織っているキャメルのロングコートと腰まで落ちるつやのある長髪がより一層引き立たせた。
「どうしたの?」
 妖しく光る目で私を見つめながら徳子は言った。
「一回、目を閉じてくれ」
「わかった」
 すぐに徳子は目を閉じた。
 すぐに私は服を脱ぎ、その中にそっと指輪の入ったケースを仕舞って畳み、キツネの姿になった。
「目を開けて」
 私は精一杯の大声で黄色の毛と尻尾を立てながら言った。
 徳子はすっと目を開けた。しばらく左右を見渡してから、視線を落としキツネ姿の私と目を合わせた。
「え、どういうこと」
 意外に落ち着いた様子で私を見下ろしながら徳子は言った。
「私の本当の姿はキツネなんだ」
 震える声を大声で隠しながら私は言った。
「そうだったんだ」
 しばらくしてから小さな声で徳子は呟いた。
「泰成も目を閉じて」
 少しの間、沈黙したのち、徳子が言った。
 私も黙って目を閉じた。
 一分ほど私は暗闇の中で徳子を待った。
 私は黙って徳子を信じ、歯を噛み締めていた。
「目を開けて」
 近くで徳子の声が聞こえ、私はすぐに目を開けた。
 ぼやけた視界が開けると、目の前には一匹の女狐がいた。
「え……」
 私は思わず声を漏らした。
「本当は私も人間に化けていたの」
 明るい声で徳子は言った。
「もしかして、気づいていた?」
 小さな声で私は言った。
「ずっと前から気づいていたよ」
 うっすら笑みを浮かべながら徳子は言った。
 なんでも知っている彼女にたじろいだが、逆に自信をもって私は言った。
「私と結婚してください」
 しまってある指輪のことをすっかり忘れたまま、私は言った。
「はい、よろしくお願いします」
 徳子がそう言ってから私たちは口を寄せ合った。二人とも咄嗟に人の真似をしてしまっていた。
 その瞬間、私は今までの緊張からか体がどっと重くなり、地面に倒れた。
 薄れゆく意識の中、牙を見せながら笑う尻尾が一本増えた徳子の姿が目に映った。
(了)