第42回「小説でもどうぞ」佳作 初めての手紙 桜坂あきら


第42回結果発表
課 題
手紙
※応募数385編

桜坂あきら
すれ違う心悲しき寒椿
「俳句というのは情景を詠うものよ。そこから浮かび上がる心情を、しみじみと感じるものなの。あなたの句は、ただ自分の気持ちを言っているだけ」
弥生ならきっとそういうのだろう。
俺の彼女、雪村弥生は書道の師範免状を持ち、長年にわたって俳句を趣味としているような、ちょっと古風な女だ。何事につけ真面目。いつだって、背筋をぴんと伸ばして生きている。一事が万事、俺とは正反対なのだ。
付き合い始めた頃、俺は弥生の影響で俳句をやってみたが、これがかなり難しかった。しかも、褒めてくれたのは最初だけで、指摘が段々と専門的になってくると、俺はもう
つまらなくなって、適当な句ばかり作っていた。そしてある日、弥生から「俳句、好きじゃないなら無理に続けなくていいのよ」と言われたのを幸いに、すっかりやめてしまった。
正直なところ、俺はずっと不思議だった。弥生はよりによってどうして俺なんかと付き合っているのか。いつだったか「俺のどこがいいんだ?」と、聞いてみたことがあったが、「よくわからないわ。気の迷いかもしれないわね」と、冗談だか本気だかわからない返事をされて、つまらないことを聞くのではなかったと後悔したことがあった。
それでも、もう三年になる。生き方や考え方は本当に真面目で真っすぐな弥生だが、だからと言って決して堅苦しいばかりじゃない。酒も少しは付き合ってくれるし、セックスだって年相応、お互いに十分楽しんできた。相性も悪くはない。
同い年だから、来年はお互い四十になる。ここ最近になって、俺は思い始めていた。世間からみればかなり遅い方だが、そろそろ結婚を考えようかと。
だが、そんな弥生と、先週、些細なことでけんかになった。
些細なことなどと言うと、また弥生の反論に合うかもしれない。俺が、絵の展覧会に行く約束をすっかり忘れて、仕事の休みをとっていなかったのだ。それはとても人気のある展覧会で、チケットは枚数制限のある事前販売のみ。予約時間帯に行かなければ入れないものだった。あれは、俺が悪かった。約束をしていたのに、うっかりしていた俺が悪いのはもちろんだが、さらに俺はそのことを素直に謝れなかったのだ。「仕事なんだから仕方ないだろう」と変な勢いで言ってしまった。元々、絵などに興味はなったし、俺自身は特に行きたいとも思っていなかったから、言ってはいけないことを口にしたのだ。
けんかのきっかけは展覧会だったが、その後、あれやこれや、俺の過去の悪業が次から次と芋ずる式に引っ張り出されて、「それは今、関係ないだろう」とか、「いいえ、そもそもあなたは不真面目すぎるのよ」とか、互いに言いたい放題に言い合って、弥生が「もう知らない」と言い、俺が「勝手にしろ」と言ったのが最後。その翌日から、弥生と連絡がつかなくなった。
ラインを送るが既読にならず、返信も来ない。あれから五日。その間に送ったものは、すべて無視されている。そうなると俺は、だんだん腹が立ってきた。いい加減にしろと思った。そっちがその気ならもういい。俺からは送らないぞと決めたとたん、返信が来た。
たった一言。
「お手紙を送りました」
手紙?
弥生とメールをしたことはある。だが、手紙など貰ったことはない。もちろん俺も書いたことはない。互いに手紙のやり取りなど一度もないのだ。
俺はいい加減な男だが、それほど馬鹿ではない。あの弥生がわざわざ手紙を寄越すというのだ。それは、別れの手紙かも知れない。だが、もしかしたら「言い過ぎました」という詫びの手紙かも知れない。その二択。どちらかに違いない。
元々、俺には過ぎた女だった。美しくて真面目な弥生なら、真面目でしっかりした男がすぐに現れるに決まっている。寂しくないと言えば嘘になるが、弥生のことを思えば、別れる方がいいのかもしれない。もちろん、詫びて来たならすぐに許そう。俺も素直に謝ろう。そして、もう一度やり直すのだ。
俺は、弥生の字が好きだ。二年前、弥生が小さな個展を開いた時に、そこにあった書を見て、心が震えるような感動を覚えたものだ。
別れでも、詫びでも、弥生から手紙が来るのなら俺は喜んで受け取ろう。弥生は、きっと涙を堪えて書くだろう。弥生の流れるような美しい文字が、涙で滲んでいるかも知れない。俺はそれを泣かずに読むことができるだろうか。
数日後、弥生からの封書が届いた。
〈3年間で頂いたもの〉
ピアス(3組) 約15,000円
バッグ 約50,000円
食事代他 約50,000円
ホテル代(勘定に入れず)
合計 115,000円
〈3年間で贈ったものと、立て替え〉
腕時計 140,000円
ライター 20,000円
ゴルフバック 30,000円
旅行費用 120,000円
ホテル代(およそ) 140,000円
ちょっと貸して 150,000円
合計 600,000円
差し引き請求額 485,000円
ワープロの横書き。
内容について異議申し立てはしない。すぐに支払う。
だけど、これは「手紙」じゃないぞ。「請求書」だ。
(了)