第12回W選考委員版「小説でもどうぞ」最優秀賞 数えたら、俺の負けだ 紅帽子


第12回結果発表
課 題
贈り物
※応募数234編

紅帽子
俺は急ぎ足で家路をたどった。今夜は俺の誕生日。妻からの贈り物はやはりブルゴーニュワインかな。自分でもわくわく感を隠せないほど早足になる。タワマンの高速エレベーターで最上階に降り、俺はドアを開けた。
「おめでとー!」との妻の歓声を予期していたが、妻は留守だった。なんだよー、と落胆したが、テーブルの上にある小さな箱に気づいた。贈り物? 俺は小箱を開けた。
中にはバースデーカードらしきものがあった。「あなたとは別れるわ」
……これって、何? サプライズ?
そんな呑気な状況ではないことが少しずつ認識できた。
俺は友人と共同で株の運営会社を経営しているのだが、インサイダー取引すれすれのけっこう危ない仕事である。
その友人と妻は家を出ていったのだった。慌ててPCで預金を調べると残高は見事にゼロだった。警察に届けるわけにもいかない。ばれるとまずい金だったのだから。
俺は一夜にして妻と全財産を失った。
タワマンの一室は三十五年のローンで買ったものだが、払える見込みがなく俺は出ていくしかなかった。
アラフォーのバツイチ。金も
しかたなく肉体労働を始めた。建設現場は人手不足なのかすぐに雇ってくれた。
がむしゃらに働いた。飯場に泊まり込み、今まで出会ったことのない連中と柄の悪い話をした。質の悪い酒を浴びるように飲んだ。これまでPCと
労働で得たお金を大事に生活に使った。肉体を動かしただけ、その日に手渡しでもらえるお金はありがたかった。
半年働き、その建設現場は解散となった。
あんたはこれからどうするんだい?
わかんないな。また、別の飯場で働くさ。
じゃあな。
柄は悪いが気持ちのいい連中だった。
俺は、さて、と口に出した。半年で俺の財産は167万5246円になった。古い札ばかりだが、厚さにすると2センチ近い。俺は内ポケットに金を収め、フェリーに乗った。
フェリーが着いた港町は魚くさかった。まだ日の昇りきっていない薄暗い朝、俺はうつむき加減に歩き始めた。
俺は内ポケットに手を入れた。もう一度その札びらを
あっという間の出来事だった。あれよ、という間に俺の掌から札びらが宙に舞い上がった。まるで演歌歌手が歌う舞台に降らせる桜吹雪か、演劇の舞台で天井から雪に見立てて降らせる切り紙か。俺が初めて身体を張って作った金が宙に消える。それは指でPCを使って何百万の金を動かしていた時の損失とは比べものにならない喪失感だった。俺は両手を天にあげたまま動けずにいた。暗い空の向こうで妻と友人が
俺の意識が周囲に向けられた。人々がわらわらと現れてくる。どこにこれほどの人がいたのだというほどの老若男女である。彼らは舞い落ちた札を拾い始めた。満面の笑みを浮かべ、素早く、嬉々として。
少なからぬクルマも停まって、運転手が外に出て拾っている。俺はどうしよう、どうしよう、そう呟きながら自分でも札を集めた。しかし数枚しか集められなかった。
どれくらいの時が過ぎたのか、まだ暗がりの中、腰の曲がった老婆が俺の前にいた。
「気をつけなせえよ」
老婆は手にしたくしゃくしゃの数枚の札を俺に手渡した。
続いて、手ぬぐいではちまきをしたおっさんが「お兄さん、景気いいねえ」と言いながら札を俺にくれた。三人目は若い女性だった。無言で手渡したあと、ふっと微笑んだ。
次々に俺の周りに人が集まり、俺に向かって札を差し延べている。タクシーを停めて拾っていたドライバーも、トラック野郎も、自転車の学生さんも、俺の吹き飛ばした札を持ったまま取り囲んでいた。
俺の両手には掴みきれないほどの紙が溜まった。俺は唾を飲んだ。167枚の1万円札、なんという贈り物だ。
だが、待てよ。俺の掌の札びらは全部あるのだろうか、ひょっとしてちょろまかした奴がいるかもしれぬ。手に持った万札を俺は震える手で数え始めた。しかし途中でやめた。
ふーっと深呼吸。俺は吐くように叫んだ。
「数えたら、俺の負けだ」
俺は何度もそう繰り返し、くしゃくしゃの贈り物をゆっくり懐に収めた。この町に住んでみるのも悪くないかもしれないな。
俺は朝日のきらきら輝き始めた港町を意気揚々と歩き始めた。
(了)