第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」最優秀賞 エンドロールはまだか 神谷健太


第13回結果発表
課 題
契約
※応募数249編

神谷健太
アヤカは湯船に浸かるとむくんだ足を体育座りでたたんだ。凹凸のフタを半分閉めてスマホを横に立てる。隣に、コンビニで買った野菜スティックのプラケースも置いた。
後輩の手助けで遅くなった。こっちだってまだ社会人二年目、自分のタスクで手一杯なのに。頼まれると断れない。己の情が憎い。
スマホが午後十一時三十分を指している。入浴と晩ご飯、映画鑑賞を同時並行しないと時間が足りない。日付が変わったら映画を扱うサブスクの有料会員契約が自動で更新される。
アプリで視聴を始めた。画面の隅にある米粒よりも小さい数字は残りの上映時間が二十五分だと示している。つまり、有料会員の解約を五分以内に済ませないと千円弱もの月額料金が発生する。
そんなの嫌だ。気になる映画はあらかた観た。今後、映画鑑賞に時間を回せるかも怪しい。既に終盤に差しかかった一作だけにお金を払う気はない。野菜スティックに加えてスイーツを買ってもお釣りが来る額だ。
映画は終わりまでの
六インチのスクリーンを前にきゅうりをつまむ。夜で音量は上げにくい。スピーカーの音声がかき消されないよう、意中の男と食事するみたいに
主人公のユウキが友人に胸ぐらを掴まれた。
「お前、本当にそれでいいのかよ。このままだとサキはアメリカに行っちまうんだぞ」
「そんなこと俺だって分かってる。でもさ」
迷わず行けよ。迷わず。
人差し指でフタをトントン叩く。焦りで友人の方に感情移入していた。それで上映時間が縮まることなどないとは分かっているが指が止まらない。
あご先から汗が落ちた。身体がぽかぽか温まってきている。頭はさらに高温になっている気がした。時間に余裕がないことが妨げだ。五分で
「本当はサキと一緒にいたいさ」
「まだ間に合う。乗れ」
ようやく本音を吐露したユウキを乗せて友達が空港まで車を飛ばした。
お願い、間に合って。ニンジンをくわえたまま手を合わせてユウキの幸運を祈った。時間の捻出が功を奏した。物語に入り込める。
『アヤカさん。今日もありがとうござ……』
こんなときに。画面上に垂れた後輩のメッセージを上に弾くと、勢い余ってスマホが奥に倒れた。あっと声が漏れた。湯船にニンジンが沈んだ。スマホを立て直す際、親指が画面に触れた。タッチやスライドで観たいシーンに一瞬で飛べるシークバーの位置だった。
「実は私、もうすぐアメリカに行くんだ」
シーンが序盤に戻っている。天井を見上げてため息をついた。並大抵の失意ではなかったが、肺の息を吐ききるには至らなかった。手続きの存在に助けられた。残り時間が迫っていなければすぐには冷静になれなかった。
シークバーの調整は難航した。鉛筆の芯ほどしかない丸いつまみに親指の腹を当てる。再生時間の微調整は指の腹でやるには極めて繊細な作業だ。爪が長いから画面のキズ防止にそうせざるを得ない。
シーンを戻すまで二分かかった。三分で解約手続きが完結する可能性はなくはない、が。後輩が腹立たしい。帰りの電車でも解約手続きに余裕を持たせようとこの映画を観た。座ると絶対寝るからと空席の目立つ車両で吊り革を掴んだ。契約更新する羽目になったら月額料金を請求してやる。
「アメリカ行きの便はあっちだ!」
友人とユウキがターミナルを駆ける。
もっと速く走れない? もっと。
くわえた大根が、電動の鉛筆削り器に突っ込むがごとく口の中に消えた。それが時短にならないと理解はしている。
「サキ! 待ってくれ!」
ユウキの叫びでゲートの向こうのサキがふり返った。けれどサキは搭乗口に消えた。
まだ一悶着あるのか。さっさとキスしろ。さっさと。というか、エンドロールはまだか。アヤカは映画を止めた。
二人が見つめ合った末に唇を重ねた瞬間で泣けた。メインキャストだけしか名前を読み取れないエンドロールも目を離さなかった。解約できなかった後悔より、腰を据えて観たラストシーンの感動が勝った。
涙が引いたころ後輩のメッセージを開いた。感謝を綴った言葉に千円分のギフトコードが添えてあった。憎めない奴だ。くすぐったい気持ちになってアヤカはぬるま湯に沈んだ。お尻の辺りに当たったニンジンを掴んだ。
(了)