第1回「おい・おい」優秀賞 「銀杏の香り」大隈大介



銀杏の香り
大隈大介
玄関で靴を履きながら何気なく靴底を見ると、かなりすり減り、左右の靴底に三カ所の空洞が露出してきていた。私の後ろから妻が「そろそろ買い換えだね」。
「もう少し履くよ」
「穴の開いている靴なんて履いているとはずかしいわよ」
と妻はあきれ気味だった。
この靴は昨年のクリスマスイブに誕生日プレゼントとして妻からもらったものだったので、今年の誕生日まであと三週間。せめてその日までは履きたいと思っていた。私は一日一万歩を目標に歩くようにしているので、人一倍靴底の減りが早い。
「いってらっしゃい」と妻に送り出され、駅に向かう銀杏並木の歩道には、銀杏の葉が歩道一面に黄色のジュータンを作り上げていた。その黄色の葉の上を歩き、駅に向かって歩いていく。葉っぱの上はふわふわで、秋から冬への季節を足元から伝えてくれている。
駅に着き、始発電車なのでいつもの席に座り、読みかけの本を読み始めると、うんこのような匂いが車内に漂っている。車内の温風とともに私の鼻から身体全体にじわじわと匂ってくる。
その原因、匂いの発信元がすぐにわかった。自分の靴底の空洞部分に銀杏の実が押しつぶされて挿入したのだ。
「ウァー、まいった、この匂い」
周りの乗客も鼻をクンクンさせ、匂いの元をキョロキョロと探している。私は両足のかかとを浮かせないようにしっかりと床につけ、バレないようにしていた。家族ずれの幼稚園児ぐらいの男の子が、私の周りをウロウロしながら鼻をクンクンさせると親元へと戻っていった。
「あのおじさんの周りで臭い匂いがしている」
「そんなこと言わないの」
その子の両親は男の子の口をふさいだ。それを聞いていた周りの乗客は私をチラチラ見ている。きっと私が粗相をして漏らしてしまったと思っているのだろう。
翌日、妻と浅草へ遊びに行き、途中で見つけた靴屋で「少し早いけど今年の誕生日プレゼント」と買ってもらった。仲見世通りを歩いていると路地の奥から松茸のいい香りがしてきて、その匂いに誘われるように釜飯を扱うその店に入った。テーブルに座った妻と迷わず松茸の釜飯を注文した。合わせてビールを注文し、店員がテーブルを離れるときに妻は「追加であれください」と壁に貼られた「銀杏の塩焼き」の貼り紙を指さした。
(了)