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第1回「おい・おい」佳作 五十九歳の夏、汗が教えてくれたこと とも

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佳作

五十九歳の夏、汗が教えてくれたこと
とも

 五十九歳の誕生日まであと一ヶ月のときだった。
「還暦だからもう無理しない方がいいよ」
「もう、還暦だもんね」
 誰も悪気はない。それでも「還暦」という二文字が、終わりの鐘のように聞こえてならなかった。その思いを打ち消したくて、私は五十代最後の記念に「新しいことに挑戦しよう」と決めた。
 ある日、息子がTシャツを絞るような汗をかいて帰ってきた。マラソンの練習を終え、顔にいっぱいの大粒の汗が、なぜか清々しく見える。
「あれ? 私、こんなに汗をかいたのって、いつだっけ?」
 息子の汗が羨ましく感じた瞬間、胸の奥がキュッと疼いた。 
「そうだ! マラソンにしよう」
 私の五十代最後の挑戦をマラソンに決めた瞬間だった。始まりだった。
「大丈夫、なんとかなる」
 そう思って始めたものの、現実は甘くなかった。たった一キロ走っただけで、息は上がり、足は鉛のように重たい。若いころと違うとわかっていたけれど、ここまで衰えているとは想像以上だった。 
 走り出すと、天使と悪魔が交互にやってくる。
「ああ、私、頑張ってるな」
 自分を褒めたと思ったら、
「今日はもう終わりにしてもいいんじゃない」
 心の声がささやく。走る意味を見失いそうになる。でも、なぜかやめようとは思わなかった。
「まだまだ、私やれるじゃん」
 そう思える日も、少しずつ増えていった。ようやく、心と身体が整ってきたと感じ始めた頃、大会の二週間前。腰に違和感を覚え、翌朝、整骨院へ。
「骨盤が少しずれていますね。無理は禁物ですよ」
 風船がパンとはじけるように、私の挑戦は、本番を迎えることなく幕を下ろした。
「違う! そうじゃない」
 私がマラソンに挑戦したのは、「完走」が目的じゃなく「年齢のせいで諦める自分」になりたくなかったから。老いに逆らいたいわけじゃない。でも、飲み込まれたくもない。「年齢なんてただの数字」そう自分に証明したかったから。
 だから、翌年、再びエントリーした。
 老いは止められない。でも、歩みを止める理由にはならない。挑戦に年齢は関係ない。来年も、再来年も私はまた走る。
(了)