第1回「おい・おい」選外佳作 紫陽花に八つ当たり 梅沢由美


紫陽花に八つ当たり
梅沢海
野菜も魚も良い品が買えたと機嫌良く歩く、スーパーマーケットの帰り道。
ふっと脇に目をやると紫陽花が咲いていた。
青が鮮やかだと思った瞬間、つまずいて転んだ。
しかも、野球のホームベースへ滑り込んだみたいに。
『アウト!』誰かが叫んだ気がする。
顔を上げると目の前に若くてハンサムな男性がいた。
「大丈夫ですか」
私は慌てて飛び起きた。
ハンサムさんよ、気の毒そうに私を見るな。
散らばった品物が転がっていく。ああ、じゃがいもよ、玉ねぎよ、どこへ行く。
彼も拾ってレジ袋に入れるのを手伝ってくれた。
「あの、これも」
トレーに乗ったマグロの刺身を渡された。黄色い値札に大きく三十パーセント値引きと書いてある。
「これ、猫の餌なんです」
聞かれてもいないのに思わず言った。猫なんか飼っていない。私の好きなマグロの山かけ用なのに見栄を張ってしまった。
何だかきまりが悪く、礼を言ってそそくさとその場を立ち去った。
家に帰る道すがら、なぜ転んだのか考えた。
買い物のとき、品定めをするために老眼鏡を掛けた。外を歩くときは遠近感がつかめなくて危ないから、いつもは眼鏡を外すのに今日は忘れた。そのまま店を出て歩き出したからこけたのか。
歳を取ると歩く姿勢が前屈みになって、つま先の上りが悪くなり、躓きやすくなる。
転んだことが、かなりショックだった。この心の落ち込みは何だろう。
老いたのか? 違う、そうじゃない。若い男に助けられたのが恥ずかしかったのだ。
エアロビクスやヨガもやって身体を鍛えているし、まだまだイケてると、うそぶいてみる。でも、擦りむいた両手が痛い。
ああ、これが現実。
美しいと思った紫陽花の青が恨めしいよと、紫陽花に八つ当たり。
(了)