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第1回「おい・おい」選外佳作 心の老い 池田剛

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おい・おい
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結果発表
<選外佳作>

心の老い
池田剛

「老い」には、身体の老いと心の老いがあると思う。身体の老いは、本人にもわかるが、心の老いは本人が気づかないことが多い。老いるというと、目がとぼしくなったり、耳が遠くなったり、と身体が衰えることをさす場合が多いが、現実には、心の老いの方が随分と厄介だ。それは、身体の老いは本人を困らせるが、心の老いは周りの人を困らせるからだ。
「違う、そうじゃない」
 心が老いている人の常套句だ。こういう人たちは、考えが違うこと、生き方が違うこと、価値観が違うこと、人が異なれば、違うのは当然のことだが、それを受け入れることができなくなってしまうのだ。きっと、そういう人を本当の意味で「老いる人」というのだろう。こういう心の老いは、必ずしも年齢に応じて起こるものではない。例えば、こうした傾向が特に強いのは、社会的地位の高いと言われる人、もしくは以前そういう地位にあって、それをいつまでも引きずっている人、あるいは自分は社会的地位が高いと思い込んでいる人たちだ。
 ところで、政治家には、高齢の人が多い。ここで言う高齢というのは、単に年齢が高いというだけではなく、思い込みが強く、融通が利かない、まさに心が老いている人のことだ。確かに年齢による老いは、思考を硬直化させ、「違い」の認識を弱らせる傾向があるだろう。政治家の中にそういう人が多いことによって、その国や地域の発展が阻害されることは不幸なことだ。
 さて、お互いの「違い」を認識し、それを認め合うことは、とても尊いことだ。国際交流というものは、異なる国同士が交流することによって、お互いを良く知り、お互いの違いをよく理解するということがとても重要だ。そしてその違いを認め合うことによって、世界の平和につながるというところに意義があるのだ。
 お互いの違いを認め合うことは、とても大切なことだが、「違い」を押し付けるのは困りものだ。男尊女卑をはじめとする男女平等を認めない思考がそれだ。残念ながら、これも政治家に多いような気がする。お互いの違いを認めるということは、本来お互いの権利を平等に認めるということだ。日本の、国や地方の政治が、心の老いていない若い心の人たちの手によってなされることを願ってやまない。
(了)