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第46回「小説でもどうぞ」佳作 エクソシストVS悪妻

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小説
小説でもどうぞ
第46回結果発表
課 題

試験

※応募数347編
エクソシストVS悪妻 
齊藤想

 ある晩、泥酔した夫が見知らぬ黒服の男を連れてきた。その男は長身の上に痩身で、足元まである黒衣を身にまとい、頭の上にお椀のような帽子をのせている。
 首からぶら下げているのは、なにやら怪しげなロザリオ。
 香澄は夫に激怒した。
「また、怪しげな宗教かキャッチセールスに引っかかるなんてバカじゃないの。この不審者を早く家から追い出しなさい!」
「まあまあ、そんなに怒るなって」
 夫は酔っ払った手を、ひらひらと泳がせた。
「なにしろ、今日は香澄のために、エクソシストを連れてきたんだから」
「エクソシストですって?」
 香澄の声が裏返る。目の前にいる男が、丁寧なお辞儀をした。エクソシストとは、ようするに悪魔払いだ。この家のどこに悪魔がいるというのか。
「いやさあ、最近気になっていたんだよねえ。あんなに優しかった香澄の口がどんどん悪くなる。いまや帰宅するなり罵詈雑言の嵐。あなた疲れたのとか、お風呂にする、それともご飯にする、それとも……みたいな甘い会話もない。きっと、これは悪魔の仕業だ。香澄に悪魔が憑りついたに違いない」
「あなた、酒に酔いすぎよ」
「いいや、素面だぞうぃ」と言いながら、夫は玄関に倒れこんだ。それでも口だけは動かし続ける。
「これは試験なんだなあ。エクソシストがお祓いをして、何も変わらなかったら、香澄は香澄だ。まだ悪魔になっていないぞぅい」
 悪酔いしているのか、語尾が怪しい。
「悪ふざけはいい加減にして。いつから、あんたはキリスト教になったのよ。そもそも、あんたの実家はお寺でしょ」
「うちの坊主はお祓いをしないからなあ。営業力で神主にはかなわんとか言って」
 悪魔祓いも営業力の問題なのだろうか。
 そうこう思っているうちに、エクソシストは手にしている不思議な金属製の器に指を浸した。中に入っているのは聖水だろうか。呪文を唱えながら、それを指先で弾くようにして部屋中にまき散らす。
 なんか、汚らしい。
「ちょっと、やめさせて」
 夫は転がりながら玄関から這い上がる。
「こいつはC級エクソシストだぜ。まあ、ほおっておけって」
「そういう問題じゃないから!」
 香澄が強い口調でエクソシストに注意をするが、一向に耳を貸さない。それどころか、さらに激しく聖水をまき散らす。
 香澄が大切にしていた厚手のカーテンにまで染みがつく。香澄は悲鳴を上げた。
「ちょっとあんた。私が悪魔にとり憑かれていると思っているなら、まともなエクソシストを連れてきてよ。せめて、会話が通じるレベルのひとを」
「それはそれで、不安だなあ」
「何が不安なのよ」
「だって、本当に香澄が悪魔になっていたら困るじゃないか。お祓いによって香澄が消えちゃったりして」
「そんなわけあるか!」
 香澄は夫の頭を、空ではたいた。

 エクソシストは無意味な儀式を続け、悪魔は去りましたとか、どうでもいいことを口にして家を出ていった。
 もちろん、エクソシストは夫からの謝礼をたんまり受け取った。
 夫は、安心した表情を浮かべた。
「どうやら、香澄に悪魔はとり憑いていないようだな。よかった、よかった。安心したぞうぃ」
「当り前じゃない。早く風呂を沸かして、さっさと寝なさい。あと、洗濯物は忘れずに仕舞うこと。先週は干したまま忘れたでしょ。いいかげん、まともな大人になってくれるかしら」
 香澄がため息をつきながら振り返ると、夫は床に転がりながら天井を見上げていた。そして、しみじみとした口調でつぶやく。
「もう三年になるんだなあ」
 それを言われると、香澄はつらい。
「親族から迫られるんだよ。そろそろ後妻をもらわないのかとか、独り身はつらくないのかとか。そのたびにオレは言う。オレには恐ろしい悪魔のような香澄がとり憑いているから下手なことはできないって」
「それで、エクスシストを呼んだわけ」
「まあ、話の流れで、そうなってしまってなあ。チンケなエクソシストだから、効かないはずだけど」
「バカ。私は悪魔じゃないから」
 夫は笑いながら、酒臭い息を吐いた。
「まあ、そんなわけで、これからも地縛霊としてオレのそばにいてくれよな」
 夫の変わらない愛情に触れて、香澄はほろりとする。
「バカ。それを言うなら、地縛霊じゃなくて守護霊でしょ」
「どっちでもいいさ。おれが死ぬまでこの世で待ち続けてくれるなら。おーい、ところで香澄さあ……」
 夫が、何もない空間を抱き寄せようとしている。香澄は気が付いた。自分は成仏しようとしている。香澄の体が軽くなる。夜空に引き寄せられていく。
 香澄は天井にへばりつきながら、キョロキョロしている夫に声をかけた。
「安心して。私が成仏しても、きっとそばにいてあげるから」
「本当かな」
 夫はあらぬ方向に手を伸ばした。香澄も夫に手を伸ばした。しかし、その手が交差することはない。
「だから、幸せになって。まだ、人生は長いのだから」
 夫は窓の外に目を向けている。香澄の声はもう届かない。
 意外と普通に成仏してしまうんだな。
 遠ざかる夫を見ながら、私は、いままで過ごした夫との日々を、胸に抱き続けた。
(了)