第46回「小説でもどうぞ」選外佳作 俺は認知症じゃない! ゆうぞう


第46回結果発表
課 題
試験
※応募数347編
選外佳作
俺は認知症じゃない! ゆうぞう
俺は認知症じゃない! ゆうぞう
腹が立つ。何にでも腹が立つ。俺が七十五歳になってから、女房が言う言葉にいちいち腹が立つ。
「車庫入れで、またこすったでしょ」「この前は、右折禁止で罰金を取られたでしょ」「もう年なんだから、免許証を返納したら?」
まるで俺が認知症になったかのような扱いだ。とんでもない。仕事をやめても俺は変わっちゃいない。
ハックション。
この年になって花粉症デビューするとは……。あの耳鼻科の藪医者め。薬をもう三日飲んでいるのに、効きやしない。
警察から、『高齢者講習のお知らせ』の葉書が来た。高齢者講習、認知機能検査、運転技能検査と三つもあるのか。ちょうどいい。俺が認知症でないことを証明してやる。
当日になった。俺の組は最初に実技試験になった。助手席に座った教官の胸の名札には『川口』とあった。五十代くらいで、強面の男だ。
久しぶりに教習所のコースを走った。
指示速度の走行、一時停止、右折、左折、信号通過、段差の乗り上げ、すべて問題なし。
次は、座学だ。DVDを見せられた。眠い、猛烈に眠い。
「そこ、寝ないように」
注意されてしまった。あの川口教官だ。
続いて、検査機で動体視力、夜間視力、水平視野を測定。
さて、いよいよ認知機能検査だ。川口教官が説明する。
「携帯、スマホ、腕時計をしまってください。これから絵をご覧いただきます。一度に四つの絵です。それが何度か続きます。あとで答えていただきますので、よく覚えるようにしてください」
画面に一枚目の絵が写った。
「これは大砲です。これはオルガンです。これは耳です。これはラジオです」
必死に覚えた。
「この中に体の一部があります。それは何ですか? 耳ですね。この中に楽器があります。それは何ですか? オルガンですね」
覚えやすいようにヒントもくれる。記憶を確認する。大丈夫だ。確かに覚えた。
次は二枚目の絵だ。
「これはトンボです。これはウサギです……」
四枚の絵が終わった。頭から溢れそうだ。早く答えを書きたい。忘れないうちに。
ところが、川口教官はこう言った。
「それでは別の課題を行います」
ええええ!
「これからたくさんの数字が書かれた表が出ます。私が指示した数字に斜線を引いていただきます。それでは1と4に斜線を引いていただきます。始めてください」
ひたすら斜線を引いた。それが終わると、『2と6と9』だ。次々と斜線を引いた。
「次の問題に移ります。少し前に、何枚かの絵をご覧いただきました。よく思い出して、全部書いてください。始めてください」
回答用紙を見ると、十六の空欄がある。確か、大砲とラジオと耳とウサギと……。ああ、出てこない。さっきまで覚えていたのに。ああ、出てこない……。
「はい、やめてください。次の問題に移ります。今度はヒントが書かれています。始めてください」
『戦いの武器』大砲だ。『楽器』オルガンだったかな。『体の一部』耳だ。『電気製品』何だったかな? 『昆虫』いたっけ? ああ、焦る……。
「やめてください。最後の検査です。この検査には五つの質問があります……」
眠い。無茶苦茶眠い。あと少しだと思うのだが、まぶたが下がってくる……。
「始めてください」
その声で目が覚めた。質問を見る。
『今年は何年ですか?』へび年だ。
『今月は何月ですか?』五月だ。
『今日は何日ですか?』えっ?
『今日は何曜日ですか?』出てこない。
『今は何時何分ですか?』時計も携帯もない。わかるものか。
「やめてください。採点しますから、しばらくお待ちください」
俺は落ち込んだ。冷や汗が出て来た。喉がカラカラだ。あれでは認知テストに落ちただろう。女房だけじゃなく、息子や娘からも、免許を返納するようにと、せっつかれるだろう。お先真っ暗だ。
川口教官たちが戻って来た。
「検査結果を個別にお渡しします。総合点によって、認知症のおそれがない、または認知症のおそれがある、と判定がされています。認知症のおそれがあるという方には警察から連絡があり、お医者さんの診断を受けていただくことになります……」
あとはもう聞こえなかった。認知症という言葉が頭の中を駆け巡っていた。
「……山辺太一さん」
「はい」と手を上げる。用紙を手渡された。そっと広げると、『認知症のおそれがある』とあった。気を失いそうになった。
「それでは以上です。気を付けてお帰りください」
席を立てなかった。女房にどう言おう?
右肩を叩かれた。顔を上げると川口教官だった。
「山辺さん、ちょっといいですか?」
顔の圧が凄い。何を言われるんだろう?
「あなた、目が悪いんじゃありませんか? 視力検査も0.3以下でした。夕方になると見づらくありませんか?」
「そう言えばそうです」
「白内障ですよ。ですから、あなた最後の問題で驚くような答えを書いたんですよ」
「どの問題でした?」
「あなただけですよ。『今年は何年ですか?』に『へび年』と書いたのは。『何年』にふりがながついていたのに、見えなかったんでしょ? あの問題は6点ですから、出来ていれば通っていたんですよ」
そんな……。
「あの問題は干支ではありませんよ、と注意したのに、居眠りしていましたよね。ひょっとして花粉症の薬飲んでません?」
チクショウ、薬のせいだったのか。
「でも大丈夫ですよ。さっき言ったんですが、このテストはもう一度受けることができるんです」
えっ、聞いていなかった。
「形式は同じですから、練習しておくことですね」
川口教官は初めて口元をほころばせた。
(了)