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第46回「小説でもどうぞ」選外佳作 他人事 十六沢藤

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小説
小説でもどうぞ
第46回結果発表
課 題

試験

※応募数347編
選外佳作 

他人事 
十六沢藤

 この試験にパスしなければ、自分の人生は終わる。
 今まで積み上げてきたものも、堪えてきたものも、全てがおじゃんになってしまう。
 灰色をした生活の中で、唯一、この試験だけが救いの道なのだ。変わるためには、これをどうにかしなければ、これがどうしても必要であると、考えなかった瞬間などありはしない。
 これを、これが。
 自分の口が何かを呟くのを感じて、不意に意識が覚醒した。
 カーテンの向こうはまだ薄暗く、起きるにはまだ大分時間があった。ここ最近、妙な夢を見る。何かの試験に合格しなければと、必要以上に追い立てられ、憔悴しながら必死になっている誰かになる夢だ。
 それが何の試験なのかは分からない。ただ、生きていてあんなに必死になることがあるのかという程に、命懸けで挑んでいるようだった。
 自分が最後に試験らしい試験を受けたのはいつだろう。恐らくは学生時代に経験したものが最後だったはずだ。特段、何か資格や免許の類いに凝っているわけでもないので、当たり前といえば当たり前だった。
 一度や二度同じ夢を見る程度なら気にも留めないのだが、今回はあまりにも頻繁に見るため、どうにも意識してしまう。だが、気にしたところでほとんど情報がないため、何か分かるわけでもなかった。ただひたすらに、試験にパスしなければと、必死になっているだけなのだ。
 ぐるぐると思考するうち、だんだんと目が冴えてしまい、眠るに眠れなくなってきた。仕方がないので、まだ薄暗くはあるが、散歩に行くことにして家を出た。
 今現在住んでいるのは五階建てのアパートの一角で、周りには勤め人の家庭が多く入居している場所だった。
 周りの迷惑にならないように静かにドアを開閉し、足音を忍ばせて一階に下りる。
 辺りは、まだ静まりかえっていた。
 人通りの少ない道を歩き、いつもの散歩コースをぐるりと一周する。アパートの前まで戻ってくる頃には遠くの空が白み始め、通りを行く自動車の数も増え始めた。
 ぽつぽつと明かりのつき始めたアパートを見上げながら、自分の家へと戻る。自宅のある階層まで上がり、ゆっくりと廊下を歩く。ふと、一つの窓に目が留まった。よく見ると、それは自分の家のすぐ隣の家で、いつもは閉まっている窓が全開になっている。
 覗き見をする気など毛頭なかったが、不意に目に入ったものを思わず凝視してしまった。
 窓から見える壁一面には、びっしりと紙が貼られていたのだ。
 紙の大きさは様々で、大きいものや小さいものが幾重にも折り重なるようにして貼り付けられている。それらの紙には、それぞれに何やら文字が書き込まれていた。
『絶対合格』
『自分の人生のために』
『これが最後』
『負ければ終わり』
『必ずパスする』
『後はない』
 鬼気迫る様子が窺えるような筆跡で、そのようなことが延々と書かれている。中には強調したかったのだろうか、赤色の文字で書かれているものもあった。だが、それらもおびただしい数になり、普通の黒文字の紙と混ざり合った結果、壁全体が赤黒く見えるようになってしまっていた。
 ふと、目の前の窓の向こうを人影が横切った。背中を丸め、うつむくようにして歩くその人はゆらゆらと赤黒く見える壁に近付き、その前にすとんと腰を下ろした。
 どうやら、そこに勉強机が置かれているらしかった。
 座り込んだ背中を暫くぼんやりと眺めていたが、いつまでも他人様の家を覗き込むわけにはいかないとはっとして、そそくさと自宅の中に入った。
 部屋に戻り、ふと、ベッドの置かれている場所を見る。ベッドがぴったりとつけられている壁は、隣家との境目に当たる壁だった。
 つまり、この裏側には、先程見た赤黒い紙の貼り付いた壁があるのだ。そして、今この瞬間も、あのうなだれた人がこちらを向くようにして座っているのだろう。
 思わず、そろそろと壁ににじり寄り、そっと耳を押し当ててみる。息を止めるようにして少しの間様子を窺っていたが、特段、何か聞こえることはなかった。
 暫く考え、壁に密着していたベッドを引っ張り間に隙間を作る。特に何か意味があるわけではなかったが、何となくそうしようと思ったのだ。お互いに邪魔をしたいわけではないはずだ。
 壁に背を向けてベッドに座り、ぼんやりと考える。
 壁の向こうのあの人は、何の試験に合格したいのだろう。
 どれだけ思いが強ければ、こんなことになるのだろう。
 隣人の存在が、ここのところ何度も見ている夢に関係しているかなど分かるはずもない。ただ、夢であったあの感じが現実のものだとしたらと思うとぞっとする。
 いくら考えても分かることなど何もないが、それでも、他人事ながら上手くいってほしいと願わずにはいられなかった。
(了)