第46回「小説でもどうぞ」選外佳作 試される人々 ハシモトアツシ


第46回結果発表
課 題
試験
※応募数347編
選外佳作
試される人々 ハシモトアツシ
試される人々 ハシモトアツシ
「定刻となりました。受験者の方は指定された席にお座りください」
スピーカーから流れた音声を合図に試験官が扉を開くと、受験者たちは重い足取りで部屋に入ってきた。部屋の壁は灰色に塗られ、光を吸い込むようなつや消しの素材で覆われている。そこは病院でも牢獄でもない、だがどちらにも似たような、無機質な空間だった。
緊張した面持ちの者、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる者、仕立ての良いスーツ姿の者や少し黄ばんだシャツを来ている者……。様相は様々だが全員が深い皺の目立つ老人であり、等間隔に置かれた席に着いて静かに時が来るのを待っている。
2062年の日本では高齢者一人あたりに対する現役世代の負担は限界に達し、結果として若年層の生活水準と出生率の低下が顕著となり、国家全体の持続可能性が危機に瀕していた。そんな危機的状況に対する苦渋の施策として「高齢者生活免許試験制度」が導入され、全国民が満八十歳の誕生日を迎えた日に指定の試験センターにおいて様々な能力を測定する複合審査を受け、一定の基準を満たした者にのみに「高齢者生活免許」が交付され、免許を所持しない者は一般社会での生活権利を喪失し、国家管理下にある通称「姥捨て塔」という施設に収容されることとなっていた。
会場には制服姿の試験官が部屋の四隅に立ち、それとは別に受験者たちの正面に向き合う位置にひと際暗い色の制服に身を包んだ壮年の男が席に着いている。彼は受験者に目を向けることなく、電波時計が示す時刻を注視していて、所定の時刻になると同時に立ち上がった。
「これより、令和四十四年度高齢者生活免許試験を開始いたします。本日、満八十歳の誕生日を迎えた皆様には、自動的に本試験への受験資格および義務が付与されており……」
彼は淀みなく明瞭に、そしてどこまでも無感情に所定の説明を読み上げていく。試験に関する注意事項等の数分程度の説明を終えると、再び手元の電波時計で予定通りの時刻であることを確認した。
「では最後に、本試験は記録・監査の対象となっており、不正行為、職員への不適切な接触はすべて即時失格となります。また、質問、抗議、発言、試験結果への異議申立て、再審請求、ならびに訴訟行為は一切認められておりません。それでは、学識及び教養試験を開始いたします。問題用紙を開き、回答を始めてください」
試験が開始され、部屋の中には筆記音と紙をめくる音、時折、絶望した受験者が漏らす嗚咽のみが響く中、試験官の男は試験官用のタブレットを手に持ちながらゆっくりと教室を巡回を開始する。
少しすると、彼のタブレットに別の試験官から、ある受験者の不審な挙動についてのメッセージが届いた。さりげなく該当の受験者の近づき様子を観察すると、よく工夫されているものの、これまで多くの受験者の不正を摘発してきた彼の目には明らかな不正が確認できた。彼はタブレットからその受験者の情報ページを開き、鼓動のように点滅する「通報」と表示された、その受験者の運命を決めるボタンを、祈るかのように少しだけ目を閉じてから押した。他の受験者に動揺を与えないために表面上は何も起こらないが、この時点で彼は無条件で不合格となりとなり、あとに控える他の試験を受けることなく「姥捨て塔」行きが確定した。
同様に数人の不正者を告発したのち、彼は一人の受験者に引っかかるものを感じた。その違和感を確かめるべく、彼はさりげなくその受験者に近づいた。
年老いた老婆であり、身なりは普通だが、背筋を丸めて座っているためどこか貧相な印象を受ける。問題に苦戦しているのか、ペンは止まり、眉間に手を当てている様子は思考を巡らせているようにも苦悶しているようにも見えた。
その表情を見て、試験官の脳裏に昔の記憶が呼び起された。
父親の怒号。殴り倒された時の熱く鋭い痛み。食器が割れる音。自分を抱きしめる身体の温もりと頭の上から聞こえてくるうめき声。遠くに去っていく背中。
震える指先でタブレットから受験者の情報を呼び出すと、そこに記載されていたのは、子供のころに自分を父の暴力から庇い続け、その代償として重傷を負って長期入院せざるを得なくなり、その後いくつかの事情で生き別れとなってしまった自分の母の名前だった。
試験官が自分のそばで立ち止まったことに違和感を覚えたのか、母親が彼を見上げる。視線が合うと、彼女の瞳が大きく開いた。
そうしたのもつかの間、彼女は目線だけで周囲の様子を確認してから、申し訳なさそうな表情を浮かべたかと思うとさりげなくペン先でとある問題を指し示したのち、続けてその問題の回答欄を指し示した。
彼には彼女の言わんとすることが分かってしまった。他の回答を見るに、この問題さえ解ければこの試験は突破できるだろう。他の試験官も受験者の様子に気を配っていても、同じ試験官の動向まではチェックが行き届かない。その気になれば回答を伝えることは容易だ。
しかし、同時に、先程彼が不正を通報した人や、これまでに不正を通報され恨むような視線をこちらに向けながら会場をあとにした人々の顔が頭をよぎった。開いたままの母の受験者ページの片隅に表示された「通報」という文字が、何かを訴えかけてくるように点滅している。
一瞬の逡巡の末に、彼は答えを出した。
(了)