第47回「小説でもどうぞ」佳作 シャネリエNo.1 さとう美恭


第47回結果発表
課 題
逆転
※応募数347編

さとう美恭
目の前に白くむっちりした贅肉があった。それを寄せ、青いワンピースの背中にぎゅっと押し込む。
「安齋さま。思い切り息を吸ってくださいませッ。せーのッ」
ぐいっと上げたファスナーの悲鳴が聞こえる。その悲鳴を包み隠すように、白いジャケットを肩にかけ、ウエストまで下がるロングネックレスをあしらう。身体の中心に縦のラインをつくるのだ。目の錯覚を総動員する。
「素敵! ロイヤルブルーがとってもお似合いです!」
鏡の中の小太りの女性の表情に華が咲く。この瞬間がやりがいだ。
アパレル業界を転々として『シャネリエ』銀座店に勤めることができたのは二年前。十代から憧れ続けたフランスのファッションブランド。新卒で不採用になったことも今ではいい思い出だ。デザインはもちろん、生地も縫製も超一流。並のブランドなら、あのファスナーは上げた途端に生地もろとも弾け飛んでしまうところだ。
今日は今期の締日だ。午前中に売り上げが立ち、幸先がいい。上機嫌で休憩室のドアに手をかけると、中から下卑た笑い声が聞こえてくる。
「さっきの理栄子さん。あの小太りのオバちゃまに『お似合いです〜』だって。よくやるわ」
この道二十年。嫉妬、陰口には慣れっこだ。外に食べに行くか、とドアから離れようとすると、違うトーンの声が聞こえた。
「でも、理栄子さんって商品知識とか提案するコーデのバリエーション、めっちゃ豊富ですよね。それにお客さまが、みんなすごく幸せそうに帰っていかれます」
桜木百香だ。新卒ながら、メキメキと売り上げを伸ばしているシャネリエ銀座店のホープ。
「そりゃ、あれだけ褒め倒せば、誰だって喜ぶでしょ」
「上辺だけのお世辞は響きませんよ。きっとお客さまの『素敵』を見つけるのが上手いんだと思います」
ありがとう百香よ。私の努力が見えるのは、アンタも負けないくらい頑張ってるからだよね。でも、今回ばかりは譲れないの。何しろフランス本社への研修旅行がかかってる。売上No.1だけが行けるんだから。
百香はお客さまをやたらと持ち上げない。持ち前のセンスと商品知識で、本当に似合うものをスパッと勧めるのが抜群にうまい。昨日までの成績は僅差で百香がトップだった。午前中の安齋さまのトータル購入で、私が逆転。しかしシャネリエの単価ならスーツ一点であっという間にひっくり返ってしまう金額だ。
今日は意識するまいと思っても、つい百香の様子が気になる。彼女がレジにお客さまを誘導するたびに、売り上げを計算してしまう。ダメダメ。自分のやるべきことに集中しなくちゃ。
夕方の小休憩で気を取り直してもどってくると、スラリとした年配の女性が熱心に商品を見ていた。
「お気に召しましたか? ぜひご試着ください」
三色展開のシルクのパンツスーツ。彼女は迷わず淡いベージュを選んだ。着てみると、風を
「すごく素敵。本当にお似合いです」
「ありがとう。実は来月、ハワイで娘の結婚式があるの。記念に素敵な装いを、と思ってるんだけど、お値段がちょっと贅沢かしら……」
シャネリエの高級ラインの一着だ。迷う気持ちもわかる。しかし、それを吹っ切って差し上げるのが私の仕事。
売れればフランス研修に王手がかかる、という下心もあったが、大切なお嬢さまのウェディングでぜひシャネリエを着てほしい。私はコーディネイトを提案し、言葉を尽くして彼女の背中を押した。
「決めたわ。じゃあ、これをいただきます」
お客さまも幸せそう。私も逆転ゴール! フランス行きがほぼ決定。めでたしめでたし。
「そうだわ。桜木さんはいらっしゃらないの?」
「桜木、ですか? 休憩だと思いますが」
「昨日こちらに伺ったときに、最初は違うものを見てたんだけど、桜木さんがこれを勧めてくださったの。でもそのときは決めきれなくって」
一瞬、呼吸が止まった。再来店購入の場合、売り上げを誰の名義で計上するかはケースバイケースだ。接客内容を考慮して、担当販売員の良識に任されている。
百香が選んだこのパンツスーツ。さすがだ。しかし、お客さまは迷われた。私がその迷いを払拭した。しかし、でも、しかし。レジ端末の担当番号の上で指が迷う。私か百香か。百香か私か……。
「お疲れさまでしたー」
従業員出口から外に出ると夜風が頬を冷やしてくれた。今日は思い切り飲みたい。
「理栄子さん!」
振り向くと百香がいた。
「私、本社研修に行けることになりました。理栄子さんが接客してくださった再来店の方の売り上げのおかげです。……でも、よかったんでしょうか」
まっすぐ私を見る百香の目を見ていたら、
「バカね! よくないわよ。悔しいに決まってんじゃない。勝ったつもりが、オウンゴールだもの。だけど自分の売り上げにしたところで、きっと割り切れなかった。……あのスーツを着たお客さま、本当に『素敵』だったわよ。アンタの選んだシャネリエが彼女を幸せにしていたと思う」
灰色のプライドが解けていった。百香は泣きそうな顔で、それでも目を逸らさない。
「あー、スッキリしたわ。今からワインバーでヤケ酒よ。付き合いなさい」
「はっ、はいっ!」
「ブルゴーニュ、アンタのおごりでね」
「えっ! じゃあ、ボーナス払いでお願いします!」
笑い声がビルの谷間にこだました。
(了)