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第47回「小説でもどうぞ」選外佳作 追いつけ、追い越せ いの

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小説
小説でもどうぞ
第47回結果発表
課 題

逆転

※応募数347編
選外佳作 

追いつけ、追い越せ 
いの

 八時一分発の電車で毎日通勤している。駅まで歩いて二十五分。家から坂を下りて細かい路地を抜け、幼稚園の角を出ると下道に出る。そこから県営団地前を通って、駅の裏側の高台に出る。そこは見晴らしの良い丘の上で百段ほどの階段を下りて行くと駅だ。
 毎朝、まだ誰も来ていない幼稚園の園庭を眺めながら下道に出ると、大体いつものお馴染みさん方が歩いている。県営団地からはいつもの高校生やサラリーマンが出てきた。毎朝の様に顔を合わせてはいるけど、どこの誰だか知らない。朝の挨拶も交わしたこともないが、たまに見かけないと心配になったりする。だって彼らは私にとってはライバルだから。毎朝、目の前を歩く顔なじみさんたちを追い抜いて駅に着くのが私の日課だから。高校生や中年のサラリーマン風など、朝から誰もが眠気や、やる気のなさを背負って歩いている。その背中を目標に追いつき、追い越して、百段階段の上で遠くの海を眺め階段脇の桜の木に目をやりながら一呼吸しても、彼らより余裕で駅に着く。百段階段も軽やかに駆け降りて行いける。これは朝の軽い運動。マラソンや競歩とまでは行かなくても軽いリズミカルな運動で、良い一日の始まりだ。いい仕事が出来ると気分も爽快だ。
 今日もいつものように幼稚園の園庭を眺めて、路地を抜けて団地の前の道を歩いていると、後ろからコツコツとパンプスのかかとを鳴らす音が響いてきた。特に気にすることもなくいつもの調子で駅に向かってリズミカルにいつの連中を追い抜いて歩いていたら、何とそのコツコツが隣に並び、追い抜いて行った。今迄に高校生ぐらいの男子にはたまに抜かれたことはあったが、こんなことは初めてだった。私の朝の爽やかな気分は台無しだ。私の気分を害する奴に負けるものかと、いつもよりスピードアップした。しかし追いつかない、追いつくどころか差がどんどん開いて行った。階段では駆け足になったが結局駅にはその女が先に着いてしまった。朝から気分は最悪。息も切れて汗までかいて、化粧が心配だ。
 それからは、その女を抜くことが朝の最大の目標になった。しかし、幼稚園を抜けた時には、私の後ろをコツコツと足音が響いていたのに、団地手前で追い抜かれてしまう。細くて背も高く息を切らすこともなくコツコツと一定のリズムで足音を響かせて私の横を通り過ぎていく。私の存在等見えていないようだ。私はその女よりはだいぶ年上だろうが、体育会系で鳴らしてきた身としては、ただの駅に向かう歩きでも負けるわけにはいかない。負けたくない。中学からバスケ部に所属し、高校のマラソン大会では陸上部を最後に追い抜いて勝ったという実績、経験がある。そのプライドがこんなパンプス女に負けるものかと鼻息荒く歩くスピードを上げていく。でもどうしても追い越すどころか追いつくことも出来ない。
 どうすれば奴に勝てるか。先ずは、靴が大事だと、スニーカーを履いていくことにした。スニーカーの歩きやすいことこの上ないと喜んで意気揚々と幼稚園の道を出たら、あの女が既に前をコツコツと歩いていた。ヨッシャーーと意気込みスニーカーで軽々と飛ぶように後を追った。徐々に差は縮まった。すると、週三回すれ違う中年女性と初めて目が合って、その目が私の足元に。「ひもがほどけてますよ」と声をかけてくれた。買ったばかりの新品スニーカーの紐がほどけて道に流れていた。お礼を言う暇もなく、その中年女性はすれ違って行った。私は屈んで念入りに紐を結びなおした。その間に、あの女との差が広がってしまった。
 仕方がない。勝つには歩くなんて気取ってはいられない。走った。新しいスニーカーで思い切り自分の今の精一杯の力でかけ出した。いつもの顔見知りたちが、どうしたんだーとばかりに私の走りを見ていた。そんなことを気にしている場合ではないと走った。階段の手前で追いついた。ヨッシーと思ったが、そこで息を整え、あの女に私の必死さが分からないようにしてから階段を上品に落ち着いて降りて行った。階段の途中で追い越す時に女が初めて私を見たようだが、私は素知らぬ顔でただ前を向いて追い越した。これで私はあの女に勝ったぞ、高校時代のマラソン大会逆転優勝を思い出し、心の中でガッツポーズをとった。しかし、その時の私の目は前も見ず、追い越す横の女も見ず、自分の足元も見ていなかった。私は百段階段の途中の五十段ぐらいから転げ落ちてしまった。新しいスニーカーの紐が途中でしっかり結びなおしたはずのスニーカーの紐がほどけていた。階段も踏み外したのかもしれない。その時、女は少し笑ったようだった。笑いを我慢しながら私に「大丈夫ですか」と駆け寄ってきた。そしてその女も階段を踏み外したのか、私の上に転げ落ちてきた。落ちた時より、その女が私にぶつかってきた時の方が数倍も痛かったが、なんとかお互いに怪我もなく、一緒に駅に着き、いつもの電車に乗って仕事場に向かった。
(了)