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第48回「小説でもどうぞ」選外佳作 窓越しの景色 十六夜博士

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小説
小説でもどうぞ
第48回結果発表
課 題

孤独

※応募数439編
選外佳作 

窓越しの景色 
十六夜博士

 こんなに意味もなく外の景色を眺めるなんて、いつ以来だろうか。俺はまだ少し痛む左脇腹に手を当てた。病院の窓には、雨に煙る緑葉樹が鬱陶しそうに枝を垂らしている。
 あの頃、よく見た景色――。
 少年の頃、ボロアパートで見た光景。ボロアパートから見る景色はいつも雨で、そして、一人だった。なぜいつも雨だったのか。天気の良い日は、家にいても仕方がないので、外をぶらついていたからだろう。そして、母は仕事でいつも不在だった。孤独だった。
 母は不器用な人だった。自身も親に恵まれず、十代から働き始め、会社の上司に騙されて俺をはらまされた。不倫関係だから、当然、認知などしてもらえず、シングルマザーとして俺を育てた。それでも父親のことを悪くいうことはなかったので、子どもの頃はいつか父親が迎えにきてくれるのだと母と共に信じていた。
(ショウのお父さん、今は一緒にいられないだけなのよ)
 そう言う母を、今となっては、不倫をする男の嘘すら見抜けない、能天気な人間としか思えない。人を信じる、真面目に生きるしか能がない人だった。
 中学を出ると働き始めたが、そこには希望などというものはなかった。あるのは支配者と奴隷の二つの階層で、上司という傲慢な支配者が部下という奴隷を虐げる。誰も助けてくれず、奴隷同士、傷を舐め合うしかない。
(ハタヤマ課長、ジュンコさんと不倫してるらしいよ)
 ある日、休憩時間に先輩のヤマダさんが吐き捨てるように言った。威張り散らすハタヤマ課長を俺たちは嫌っていた。ジュンコさんは二十歳ぐらいの事務員で、俺らにも優しく接してくれる姉のような存在だった。
 ヤマダさんの言葉を聞いて、俺は吐き気がした。母親の顔が浮かんだ。俺は無言で立ち上がると、ハタヤマ課長を探した。そして、資材のチェックをしているハタヤマ課長を見つけると、静かに近づいた。俺に気づき、振り向いたハタヤマ課長を、俺は思い切り殴った。人を殴ったのは、それが最初で最後だ。吹き飛ぶハタヤマ課長の上に鉄パイプが何本か倒れ、カランカランと乾いた音を立てた。
 焼けるような拳を抱えたまま街を出た。
 とにかく奴隷を卒業したかった。そして、やればやるだけ儲かり、上に上がれる不動産営業で頭角を表し、俺は支配者になった。今では、全国チェーンの不動産会社社長だ。
 俺は通常の支配者にはならなかった。部下たちが働きやすい環境を整え、会社の若い女性に手を出すこともない。牛乳を生産する酪農家が乳牛を粗末にはすることはないのと同じ。だが、本質は違った。酪農家は牛を愛しているが、俺は部下を愛していなかった。ビジネス上の重要な部品――。奴隷上がりのくせに、奴隷のままで働く人間を本心では軽蔑していたし、形だけ良い支配者を演じていた気がする。
 結局、俺はハタヤマと同じなのかもしれない――。家に侵入した何者かに刺され、病院で寝転んでいる。金目当ての強盗の可能性もあるが、従業員の可能性だってある。パワハラこそしたつもりはないが、部下に心から感謝を示すこともなかった。自分の生き方が正しかったと自信を持てない。そして、たまらなく孤独を感じた。
 母は今どうしているのだろう。ずっと母親の口座に金を送っているが、あの日以来会っていない。
「失礼します」
 一人メランコリックになっていると、律儀に張りのある声がした。背筋の伸びた精悍な男性が病室に入ってきて、刑事であることを説明した。
「まだ、捜査中ですが、お母様からの言伝ことづてを預かってきました」
「母を調べているのですか?」
「保険金のことなどもありますし、人間関係を洗い出すのは基本でして、ご理解頂ければと思います」
 頭を下げると、刑事は続けた。
「お母様は子ども食堂を経営されています。イシハラさんの仕送りで経営が出来ていて、多くの子どもが助かっていると。『ありがとう』と一言伝えてほしいとのことでした。イシハラさんの居場所は許可なく伝えられませんので、言伝だけひとまず預かりました」
 子ども食堂、ありがとう。刑事の言葉をしばらく反芻する。
「母はどんな生活をしていましたか?」
「とても質素な生活にお見受けしました。お金は全て、子ども食堂に費やしているようです。相当な数の子ども食堂を運営なさってます。でも、子どもたちに囲まれて、とても幸せそうでした。イシハラさんに会いたいとも。よろしければ病院をお教えします」
 本当に不器用な人だ――。使いきれないほどの金を送ったのに。
「会ったら、母はなんと言うでしょうね」
 刑事は口角を上げた。
「さあ。ただただ喜ぶのでは。自慢の息子に会って」
 自慢の息子。そんなわけない。母を軽蔑し、捨てた人間が自慢の息子のわけはない。俺はただ、母が孤独に野垂れ死にしないように金を送っていただけだ……。
 刑事と視線を合わせるのが辛くなり、窓に目線を移すと、外の雨は上がり、少し日差しが戻っていた
 母は孤独でも奴隷でもない。いつまでも孤独で奴隷なのは俺だ。孤独の奴隷――。
 あのボロアパートの窓からもう一度景色を眺めたくなった。母はあのボロアパートに今もいるのだろうか。
「母の住んでいるところは、〇〇ですか?」
 刑事は頷いた。
「では、病院は教えないでください。私が行きますから」
 外を見たまま刑事に告げた。雨に濡れていた木々の葉は光を弾き、むしろ自信に満ちた姿に変わっている。きっと、あのボロアパートでも同じ景色があるはずだ。
(了)