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第48回「小説でもどうぞ」選外佳作 孫からの電話 秋あきら

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小説
小説でもどうぞ
第48回結果発表
課 題

孤独

※応募数439編
選外佳作 

孫からの電話 
秋あきら

 アパートの前まで帰ってくると、両隣の住人が表で立ち話をしていた。どちらも六十代の男で、シルバー人材センターに登録して働いていたはずだ。確か若い方がヤマモトで、年長の方がノナカだった。いや、逆だったか。黙って通り過ぎようとしたら、年上の方が声をかけてきた。
「やあ、島本のおばあちゃん、買い物かい?」
「ふん。お前さんにおばあちゃんと言われる筋合いはないね。アタシのことを婆ちゃんと呼んでいいのは孫のサトルだけだよ」
 そう言ってやると、二人は顔を見合わせて口元を歪めた。そのまま無言で二人の前を通り過ぎ、押していた老人用の手押し車を玄関の前に停めた。手押し車の荷物入れからチェーンを取り出すと、いつも通り、窓の格子に繋いで施錠した。
「鍵なんてかけなくったって、シルバーカーなんぞ盗む奴がいるもんか」
「シッ、聞こえるぞ」
 しっかり聞こえたが、言い返すのも面倒なので無視した。部屋に入って茶を淹れた。
「はあ。お茶は、玉露に限るねえ」
 一息ついてもまだあの二人は表にいるのか、話し声が聞こえてくる。
「……でさ、相変わらずの減らず口だけど、こっちの方がそろそろヤバいんじゃないか。さっきも『孫のサトル』とか言ってたけど、前に聞いた時はマナブって言ってたぞ。孫は一人って言ってたよな」
「えっ、俺が聞いた時はヒロシだったぞ。ひょっとして一人ってのが間違ってんじゃないのか」
 示し合わしたように二人の笑い声が聞こえた。このアパートは壁が薄い。木造で築四十年と年季が入っているが、六畳一間で風呂とトイレがついて家賃三万は破格だ。何より、住人がみんな年寄りなので気楽だ。おまけに駅近、スーパーと病院もそれなりの距離だ。あのシルバーカーがあれば、大抵のところは歩いて行ける。若いもんに頼らずとも、やっていけるのだ。
 それにしても、だ。あの二人はいつもアタシのことをボケ老人呼ばわりする。自分たちだってジジイのくせに。
 時々、ド忘れするけど、それだけだ。体だって、腰と膝がちょっということをきかないだけで、目も耳も歯も問題ない。毎日、テレビと新聞で世の中のことは勉強してる。脳トレだ。だから孫との会話にも困らない。
「ねえ、アタシってヤバいだろ?」
 箪笥の上に飾った、孫の写真に向かって話しかけた。
「使い方は間違ってないだろ?」
 ええっと、名前はと考えた時、電話が鳴った。イエデンだ。スマホは持っていない。アレは金ばかりかかって、ロクなことがない。
『メイワクデンワニ、チュウイシテクダサイ』
 電話機が喋った。毎回言うので、着信音と変わらない。どうせ役所のナントカ課だろう。日課の安否確認とやらだ。平日の昼間にかかってくる電話には注意してください、とか言いながら、いつも平日の昼間にかけてくるのだ。断ってもしつこくかけてくる。着信拒否にしようと思いつつ、つい忘れてしまう。しかし表示を見ると、登録していない携帯番号だった。ひょっとすると孫かもしれない。この前かかってきた時、番号を変えたと言っていたのに、登録するのを忘れていた。
 アタシは受話器に飛びついた。
「はい、もしもし」
「婆ちゃん? 俺だけど」
「タカシか?」
 声を聞くと、孫の名前がすんなり出た。
「うん、そう。元気してた?」
「ああ、毎日ヤバイよ」
 受話器の向こうで、息を飲む気配があった。
「だ、大丈夫なの?」
「そう言ってるだろ。タカシこそ、大丈夫なのかい? 元気がなさそうだけど」
「うん、実は、会社でミスっちゃって。マジでヤバイんだ。とにかく金が要るんだよ」
「いくらだい?」
「ひゃく…… い、いや、二百万なんだけど」
「銀行に出しに行かないとねえ」
「三時までに駅前の銀行に来られる?」
 時計を見ると二時半だった。シルバーカーを急いで押して行けば、二十分で着くだろう。
「大丈夫、すぐに銀行に持っていってやる」
「ホント!? ありがとう、婆ちゃんっ」
「ああ、まかせな」
 受話器を置くなり腰を上げた。部屋の施錠ももどかしく、大急ぎでシルバーカーの鍵を外した。
「あれ、婆さん、また出かけるのかい?」
 また隣のジジイだ。思わず舌打ちした。
「うるさいなあ、アタシは忙しいんだよ。孫の一大事なんだ、邪魔しないどくれ」
 暇な年寄りの相手をしている時間はない。何かを叫んでいる爺さんを無視して、アタシは駅前の銀行へと急いだ。
 やがて横断歩道の向こうに、銀行が見えた。アタシはいつも通り、手前のコンビニに入ると、雑誌売り場から銀行を観察した。案の定、スーツ姿の若者がスマホ片手にうろついている。孫の『タカシ』だ。
 あの電話が特殊詐欺だということくらい、すっかりお見通しだ。というより、その電話を、日々待っている。そのためにイエデンを設置しているのだから。
 特殊詐欺に遭うにためには、条件が二つ必要だ。家族があることと、その家族のためなら金など惜しまないという心がけだ。あいにくアタシは、どちらも持ち合わせていない。結婚もしたことがないアタシに、孫などいるはずもなく、天涯孤独の身だ。信用できるものは金のみ。一番の楽しみは、こうやって騙されたフリをして、やってきた相手を観察することだ。ほら、あの若者のアホ面ときたら。チョー、ヤバイよ。
(了)