第48回「小説でもどうぞ」選外佳作 何度聞いても 和久井義夫


第48回結果発表
課 題
孤独
※応募数439編
選外佳作
何度聞いても 和久井義夫
何度聞いても 和久井義夫
「ただいまぁ~」
わたしはレジ袋を提げてリビングに入った。ダイニングテーブルに妻の真奈がいる。
「今日は駅前の弁当屋でね、幕の内弁当を買ってきたよ。前にあそこの弁当はおいしいって言ってたよね」
白のタートルネックにピンクの薄いカーディガンを着た真奈は首を傾げている。
「あれ? そうじゃなかったっけ?」
部屋は少し暑く、エアコンをつけた。
「あとはいつものスーパーで豆腐とネギ。みそ汁に入れようと思って」
台所にレジ袋を置いて、ついでに手を洗う。腰が重い。
今日のシルバー人材センターの仕事は草取りだった。日陰で短い時間だったのでシャワーは浴びなくてよさそうだ。一緒だったメンバーは口数の少ない人ばかり。現地集合して挨拶を交わしたあと、リーダーから草取りの範囲を聞く。それから黙々と作業して、わたしが声を出したのは「お疲れさまでした」だけだった。他の人も同じようなものだ。
この街は真奈の故郷で、わたしの古い友だちはいない。定年退職しても社会と繋がっていたいからとシルバー人材センターに登録したが、もっと人と話ができるような仕事はないだろうか。でも今さら人間関係で疲れるのもしんどいか。このくらいでちょうどいいのかもしれない。
ネギを切りながら真奈に話し続ける。
「さっきエレベーターでね、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた女の人と一緒になってね。その赤ちゃん、こっちを見てにっこり笑うんだよ。それがすごくかわいくて。なんであんな無邪気な顔で笑えるんだろうって、涙がでそうになっちゃったよ」
真奈は何も言わない。そういえば、娘たちの小さいとき、知らない人にも笑いかけていただろうか。思い出せない。
「あとね、スーパーのレジでね、おじいさんとおばあさんがカートを押して並んでてね、なんか楽しそうに話をしているんだ。おじいさんが何か言うと、おばあさんがおじいさんの腕を叩いて笑っていて。ああ、いいなあって思ったよ」
このところ何かと鼻の奥がじんとすることが多い。テレビでもドラマやドキュメンタリーはもちろん、バラエティー番組でも出演者の人たちの真剣さに胸が熱くなってしまう。
カーテン越しの日差しが薄らいできた。
「それから帰り道でね、風かなにかで自転車が何台か倒れててね――」
通りがかった高校生くらいの男の子が起こしていったこと。歩道を歩いていたら自転車がすぐ横を走り抜けてびっくりしたこと。国道沿いの葬儀場が人でいっぱいだったこと、
ひとりでしゃべり続けていた。真奈は黙って微笑んでいる。
勤めていた頃は仕事のことで頭がいっぱいで、家ではほとんど喋らなかった。退職した今は、思いつくまま話し続ける。
営業マンとして本社から転勤してきたこの街の営業所に真奈はいた。現地採用で、営業所長の下で秘書のような仕事をしていた。くりっとした目が可愛くて、皆に人気があった。恋人がいてもおかしくなく、自分なんか相手にされないだろうと気にしないようにしていた。
しかし社員が二十人くらいの営業所で、彼女の視線がよく追いかけてくるような気がした。歳が近かったこともあったのだろう。いつのまにか二人だけで会うようになった。
それからくっついたり離れたりが六年続く。そろそろ転勤の順番だと思っていたとき、真奈の家に招待された。緊張はしたが楽しい時間だった。
翌日彼女から電話があり、結婚式場を探しに行こうという。親に、転勤があるならすぐに探せと言われたらしい。正式なプロポーズもせず、半年もたたないうちに式を挙げた。その年に転勤はなかった。
「ねえ、前にも聞いたけど、どうしてぼくなんかと結婚しようって思ったの?」
鍋で湯を沸かしながら聞いてみた。真奈はさぁ? とまた首を傾げている。
結婚した翌年、長女が生まれたタイミングで本社に異動になった。それからも転勤を繰り返し、次女が小学校に入ったときにこの街に戻った。マンションを購入し、次の転勤からは単身赴任となる。それからもいろいろなところを転々とした。家事や料理もひととおり覚えた。最後は本社で定年となり、ここに帰ってきた。退職金でマンションのローンも終えた。娘たちはもう独り立ちしている。
「みそ汁できたよ。ちょっと早いけど食べようか」
湯気の立つお椀をテーブルに置き、弁当の蓋を開ける。
「うん、やっぱりコンビニ弁当とは違う。おいしいね」
テーブルの上の、薄いピンクに縁取りされた額縁のなかで真奈が笑っている。味もわからないくせに、と言っているようだ。
真奈は十二年前に手術した脳腫瘍が再発し、手の施しようがなくなって息を引きとった。それからもう二年がたつ。ひとりでいることにはまだ慣れない。話をしてくれる誰かが隣にいてほしい。
「ねえ、どうしてぼくなんかと結婚しようって思ったの?」
何度聞いても返事はない。もっといろいろな話をしておけばよかった。夢のなかでもいいから会いたい。声が聞きたい。
また鼻の奥が熱くなってきた。こんな日はまだまだ続いていくのだろう。
(了)