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第48回「小説でもどうぞ」佳作 ここに愛が流れているとして 月坂亜希

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小説
小説でもどうぞ
第48回結果発表
課 題

孤独

※応募数439編
ここに愛が流れているとして 
月坂亜希

 ベルトコンベアに乗った弁当が目の前を流れていく。空っぽだったプラスチックの黒い容器には色とりどりの総菜と真っ白なお米がみっちり詰めこまれていく。弁当というひとつの商品になるまでのその道筋にわたしは立っている。大量生産される弁当を作り上げるためのひとつの部品として、毎日ここに立っている。

 チキンカツ弁当の最後のカツを入れ終わって、急いで脱いだ手袋を足元のゴミ箱に捨てる。一息つく間もなく新しい手袋をつけていると、目の前に並んでいたバットが入れ替わっていく。
「次、ウインナーときんぴら、両方いける?」
 次の弁当の指示書を掲示して各担当者の前にバットを並べながら指示を出すのは、パートリーダーのおばさんだ。わたしは大きな声で「はい」と答えて、それぞれのバットに盛られた食材を掴みやすいように整える。この工場という箱の中にいるときには「はい」以外の言葉を発することがない。なにか意見を求められることなんてないし、世間話をする余裕なんてものもない。ただ流れてくる弁当を皆で追いかけるみたいにして食材を詰めていく。指示されたことをこなすだけ。だから「いいえ」と答えることもなく、なるべく元気に大きな声で「はい」と返事をする。それだけでなんとかわたしはこの箱の中の部品として正常に存在することができる。
 今日も流れていく弁当を完成させる。虚しくも寂しくもない。ただわたしはこうやってひとりで生きているだけだって自分でわかっていれば、なんの問題もない。

 昼休憩のベルが鳴って、最後のひとつに担当の食材を詰めた人から順にベルトコンベアから離れていく。わたしは作業台を軽く拭いて、廃棄棚から弁当をひとつ手に取って休憩所へ向かう。
 休憩所では数人で集まって喋りながら弁当を食べている人たち、スマートフォンを見ながらパンを食べている人、机に突っ伏して眠っている人、いろんな人がいる。人の数だけ休みの過ごし方は違っていて、わたしは廃棄となる不良品の弁当を毎日食べて過ごす。
 今日はハンバーグ弁当で、白米にハンバーグのデミグラスソースが少しついてしまっている。ハンバーグ担当が手を滑らせたのだろう。品質と味には問題がないものだとしても、見た目にケチがつけばそれはもう商品ではなく不良品となる。「廃棄」と一度選別されたものに手を合わせて「いただきます」と声をかけると、それはわたしの昼食という食べものになる。作り直すことはできなくても受け入れ方ひとつで存在価値は変わるのだと思えるから、いつも廃棄の弁当を食べている。
 わたしは誰かを笑顔にする生き方をしたかった。雑誌の読者モデルになってこの街に来たとき、その生き方に近づいたと思った。何度目かの撮影に大遅刻をしたとき、決まりかけていた専属モデルの話が消えてクビになった。顔だけが良くて頭も性格も悪い不良品だったわたしは、誰かを笑顔にすることを諦めた。廃棄処分されたわたしはここに来て、目の前を弁当箱が流れて、そこに中身を詰めている。何者にもなれなくて「中身空っぽ」だと言われたわたしが、誰が詰めてもいいものを詰めて、誰が食べてもいい弁当を完成させている。そうやって生きている。
 ハンバーグを口に入れて頬張っていると、母と二人で暮らしたアパートのダイニングテーブルを思い出した。ダイニングテーブルなんていいものではない、母がどこからかもらってきた色も高さもちぐはぐな机と椅子二脚。働き詰めの母はいつもそのダイニングテーブルに夕食を作って置いてくれていた。それを温めてひとりで食べていた。
 たまに母と一緒に食べることができる日にはコンビニ弁当を買ってきてふたりで食べた。ふたりでハンバーグの入ったコンビニ弁当を食べて、容器は軽く水ですすいで捨てた。調理と洗い物の手間がなくなってできた時間で、母が古本で買ってきてくれたファッション雑誌をふたりで読んだ。モデルさんのポーズの真似をすると母は嬉しそうに笑った。あのときの母の笑顔がずっと頭から離れない。
 弁当は手作りじゃなくたって思い出は残るし、コンビニ弁当は誰がどんな風に食べてもいいものだ。だからわたしはこの仕事が案外気に入っている。
 母の作り置きの夕食を食べることはもうできないけれど、こうしてコンビニ弁当のハンバーグを食べるたびに母との時間を思い出すことができる。母の笑顔を、母への愛を、いつでも明確な手触りで思い出すことができる。流れ作業で作られるこの弁当は誰かの愛になるのかもしれない。わたしは愛を詰めているのかもしれない。
 休憩時間の終わりを予告するベルが鳴る。作業服を整えてベルトコンベアに戻っていく。

 ベルトコンベアに乗った弁当が目の前を流れていく。空っぽだったプラスチックの黒い容器には色とりどりの総菜と真っ白なお米がみっちり詰めこまれていく。弁当というひとつの商品になるまでのその道筋にわたしは立っている。大量生産される弁当を作り上げるためのたったひとりのわたしとして、毎日ここに立っている。
(了)