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第48回「小説でもどうぞ」佳作  令和のお立ち台 青川倫子

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小説
小説でもどうぞ
第48回結果発表
課 題

孤独

※応募数439編
令和のお立ち台 
青川倫子

 会社のビルの屋上にいたら、騒ぎが起きた。男が飛び降り自殺をしようとしている。知らない男だった。パラペットの上に立ってこちらを向いている。三十代前半くらいに見えた。すでに数人が、遠巻きに男を見ていた。スマホを向けている者までいた。出入り業者もいるから、外部の人間も何人か混じっているのだろう。
「舞子さん」
 後輩の真希ちゃんに声をかけられた。真希ちゃんは三十二歳。男と同じくらいだ。
「真希ちゃん、いたのね。あの人のこと知ってる?」
「知りません。会社の人じゃないのかも。とにかくみんなで止めていたところです」
 扇子で仰ぎながら真希ちゃんが答えた。
 腕時計を見ると、午前十時すぎだった。屋上はすでに三十度は超えている暑さだ。汗が流れてくる。
 まわりを見た。真希ちゃんのほかに顔見知りはいなかった。眼鏡をかけた四十代くらいの真面目そうな男が説得している。
「何かあったんですね。みんないろいろありますよ。あ、そうだ自己紹介しましょう。私の名前は——」
「そんな必要はない。飛び降りるんだからな。あんた真面目か。真面目さんでいいよ。真面目さんに僕のことが分かるわけない」
 男が叫んだ。そして投げやりな言いかたで続けた。
「スマホを向けているあんたは陰キャ、そこの薄笑いしている茶髪は元ヤン」
 指をさしてみんなにあだ名をつけはじめた。次は真希ちゃんに指を向けた。
「あんたは……女優」 
 真希ちゃんは特別綺麗な方ではなかった。もしかしたら、男は女にやさしいのかもしれない。私は五十七歳だけど、お姉さんと言ってくれるかもしれない。いや、さすがにおばさんだろう。お婆さんと言われなければいいかと思った。しかしその心配は杞憂に終わった。私だけあだ名はつけられなかった。
「何があったんですか? 教えてください」
 真面目さんは穏やかな声で聞いた。
「会社を解雇された。僕は家族もいないし、恋人もいない。友達って呼べるような人もいない。もう未来に希望がもてないんだ」
「まだ若いし、これからいろんなことができるじゃないですか」
 真面目さんは真面目な回答をした。 
「何をやっても駄目なんだ。僕だってそれなりに頑張った。それなのに、努力が足りないとかなんとか言いやがって」
「誰かに言われたのね、それはムカつくかも」
 真希ちゃんが男に共感した。
「とにかく、一度そこからおりませんか?」
 真面目さんが提案をした。
「ほっといてくれ」
 男は首を横にふる。
「そうだ、健康管理室に行きましょう。私も一緒に行きますから」
 真面目さんがもう一度提案をした。私の会社には健康管理室がある。保健師も常駐している。観葉植物がたくさん置いてあって、保健師さんにハーブティーをいれてもらったことがある。最近よくお世話になっていた。
「もう無理なんだ……」
 男が泣きそうな声をだす。
 私も何か発言をしなきゃ。発言をしたらあだ名をつけてもらえるかもしれない。
「死んだらおしまいじゃない」
 当たり前のことしか口にできなかった。そして、あだ名はやはりつけられなかった。
「どうせ帰っても誰もいない。僕には居場所なんてないんだ」
 男は泣きだした。
 私は気づくと舌打ちをしていた。隣の真希ちゃんが仰いでいた扇子を止めて、驚いた表情で見ている。
「あのさ、私は夫も子供もいるんだけど、彼らにとって私は透明人間よ。私が見えないみたい。息子は反抗期の時期、話しかけても返事もしなかった。成人したらとっとと出ていったわ。夫は昔から全て無関心。質問してもああそうだなって返事。いやいやいや、質問してるのによ? 私の話、全く聞いてないのよ。家族がいるのに繋がってないの。何かしてあげても当たり前。面倒なことは全部私。会社でもそう、いつ辞めるのかあからさまに何度も聞かれたわ。居場所がないって? それは私よ。帰っても誰もいないって? いてもいないのと一緒よ。あんたも私が見えないんでしょ? 私だけあだ名をつけなかったじゃない。おい、小僧、あんたには小僧ってあだ名をつけてやる。そこをどきなさいよ。そこに立ちたいのは私よ!」
 呆気にとられている真希ちゃんの手から扇子をとりあげ、小僧のもとまで行った。
「そこをどきなさいよ!」
 扇子で仰ぐようにせかした。小僧は慌てたようにパラペットからおりた。昔行ったことがあるディスコ、ジュリアナ東京のお立ち台を思いだした。扇子を手にパラペットの上にあがる。もちろん飛びおりる気はない。ましてや踊る気もない。
 小僧が謝った。
「あだ名、お姉さんと言ったら嫌味になるかなと、おばさんじゃ失礼だし、考えたんですけど、つけられなかったんです。本当にすいません」
 男——小僧はやはり女にやさしい人だった。少し気持ちが落ち着いてきた。
 そして、小僧は続けた。
「あだ名、今つけます! 孤独さんていうのはどうですか?」
 私は小僧に思いきり扇子を投げつけた。
(了)