第48回「小説でもどうぞ」佳作 アパートのさえずり 香具山ゆみ


第48回結果発表
課 題
孤独
※応募数439編

香具山ゆみ
ボロアパートの湿っぽさには、いつまで経っても慣れない。
毎日毎日くだらない仕事を終え、家に帰るたびげんなりする。かといって、ここ以外に行く当てもない。
人間が苦手で、煩わしい人間関係に巻き込まれるたび逃げ出して、こんな場所まで流れ着いてしまった。築五十年では足りないだろう木造アパートの取り柄といえば、家賃が安いだけだ。外階段の鉄板はあちこち錆びて抜けてるし、大家が高齢で庭の草木も放置され、伸びっ放しの木の枝や蔦が二階建ての半分以上を覆ってるせいか、いつも何となく湿気た感じがする。だからこの時期は窓を閉め切ったままドライの空調設定にするのだが、淀んだ空気が増幅するようで気分は晴れない。壁が薄いせいかじっとしていると隣家の生活音が気になる。かといってこちらの音も響くかと思えばテレビをつける気にもならない。家の中でもイヤホンをして聞き飽きた音楽を流し続ける。そうしていっそう私は世界を隔絶する。
あのアパート、幽霊が住んでるんだぜ。小学生の騒ぐ声が聞こえた。自分がそんなところに住んでいるのかと思うと情けない気もするが、どうせ訪ねてくる人もいないので転居するほどのことでもない。いや、そもそも幽霊って私のことではないのか。そう思うと自虐的な笑いさえ込み上げてくる。
どうして、耳を塞いでも嫌なことばかりは聞こえてくるのだろう。
そんなある日、耳慣れない音がした気がした。が、気のせいじゃない。
ピッピピピピピ……。
はじめキッチンタイマーかと思ったが、そうじゃない。どこだ?
窓を開けると音が大きくなる。視線を上げると、生い繁る樹上に木の枝を重ねた
少し背伸びしてみるも、巣の中は見えない。けれど、鳴き声はそこからだろう。
音の出所が分かってなんとなく一安心。鳥の方でも住人の姿を確認して安心したのか、それとも逆か、鳴き声はやんだ。
なんとなくそこに巣があると知ると気になるもので、洗濯物には全然影響ない位置なのだが、私は毎朝窓を開けて鳥の巣を確認した。
ピピピピピ……。
ピチチチチ……。
その鳴き声には、いつしか雛の愛らしい鳴き声も混じるようになった。
生きるためにしっかり食料を運んでいるのだろう、頼りなかった雛たちの声は日に日に力強くなる。その声を聞いてから出勤するのが日課になった。力を貰える気がするのだ。
しかし、終わりは突然やってきた。
鳴き声が聞こえない。皆、巣立っていったのだ。
めでたいはずなのに、喪失感に目眩がした。小さな巣に収まる彼らは立派に羽ばたいていったのに、私はいつまでもこの湿った家に閉じ籠っているのだ。
本当にいなくなったのか? 何とか巣の中を覗こうと、長い棒を操ったりしているうちに引っ掛けて、空っぽの枝の塊は無惨にも雑草だらけの庭に散ってしまった。
放心状態で巣の残骸を見つめていると、どこからか鳥の鳴き声がした。
ピピピピピ……。
帰ってきたのかと思ったが、見上げても鳥の影さえ見えない。それどころか、あらぬ方向から聞こえる気がする。
――隣の家から?
不審ながらも、ベランダから身を乗り出してみる。壁に耳を付けてみる。廊下に出てみる。……確かに隣家からだ。しかも、一羽じゃない。複数の鳴き声がする。
小鳥の家族が助けを求めている気がして、隣家のドアを叩いた。
ドアの隙間から、隣の男が顔を出す。私以上に外に出ていなさそうな、不健康そうな白い顔。
「何か?」
「あの、お宅から鳥の声が――」
言い切らないうちに、「ああ」と呟いて男は扉を大きく開いて私を招き入れた。無用心にも足を踏み入れたのは、鳴き声のせいだ。
「本物だと思った?」男が小さく笑った。
男の家には無数の鳥がいた。人形の鳥。尾の部分が笛になっているようで、どこから風が流れているのか、あちらこちらでピーチクパーチク鳴いている。
男は鳥の人形作家だといった。この狭い一室でずっと鳥を作り続けているのだと。それが男の生活で人生なのだと。
「寂しくないですか?」
「……あなたは寂しいの?」
そう言って男は青い鳥を一羽くれた。代金はいらないと言われたが、きちんと支払った。
翌日から、朝窓を開けて私の鳥を鳴かせるのが日課になった。
なぜ? それは私にも分からない。ただ、私はここにいるのだと、青い鳥は毎朝精一杯に鳴いている。
(了)