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【純文学からエンタメへ】「ここで諦めたら、ティーンエイジャーの頃の自分にも申しわけが立たない」直木賞作家・佐藤究の作家人生と創作哲学

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26歳で純文学デビュー。“売れない時間”を経て、30代後半でエンタメの世界に転向した佐藤究さん。その過程にはどんな葛藤があったのかを伺った。

「売れるもの」が書けなかった時代

——26歳で純文学デビュー後、39歳でエンターテインメント作家に転向されました。とてもユニークな経歴ですね。

デビューした状態でずっと売れない、という景色を経験する作家は、それほど多くないと思うので、面白いといえば面白いですよね。売れない時間は、売れたら終わりなので、特別な時間でした。

——焦りはなかったのですか。
 
20代のうちはまだ尖っていましたが、40代手前でフリーター状態のときは、このまま一生、貧乏で終わっていくのかという恐怖もありました。ただ、作家になるために東京に出てきているから、ここで諦めたら、ティーンエイジャーの頃の自分にも申しわけが立たないなと思って。あるとき、決めたんです。一度の人生を大振りの三振で生きようと。バントで出塁もできるけど、最後まで大振りしてストライクというのが、書くことに対する自分の礼儀だと考えました。結局、自分の選択だと思うことが大事ですよね。

——当時、思うように書けなかったのはなぜ?

僕は書けなかったときは一度もなかったんです。そういう意味では、売れるものが書けなかった、ということになります。

書くという行為は、本来、常に自由でいろいろな価値がありますが、売れる小説を書くというのは、目の前の限定されたルールの中で書くことです。僕は、書くことが面白いと思えるうちはそのマーケットに挑戦しようと思っていました。自由に書いて、それで読者の皆様に買ってもらえる本が書けるかどうかということです。

——すごい覚悟です。

ひとつ言えるのは、憧れで何かをやるのは危険だということ。僕はブコウスキーやレイモンド・カーヴァーが大好きでしたが、僕という人間が同じやり方でパフォーマンスを発揮できるかというと、それは違う。自分自身がもっともパフォーマンスを発揮できる場所や方法が見つかって初めて商品になるんです。それはマーケット内のゲームの一端でしかないわけですが、こうすれば売れるという設定ができなかった。自分がお客だとすると、デビュー作の『サージウスの死神』くらいの感じなら、まあ買ってもいいかなと。ただ、サイフの中に3000円しかなくて、2500円でハンバーグステーキを食べようと思っていた人が「それをやめてでも買う」小説は、たぶん書けていなかったんです。

——直木賞を受賞された『テスカトリポカ』は傑作と絶賛されていますが、間違いなくハンバーグステーキはやめます。

クライムノベルは、現実に追い抜かれると、存在価値がなくなってしまいます。今回初めて、物語の完成を目指す中で、悪いやつらの気持ちとシンクロしましたね。あいつらは絶対に諦めないし、こんな感じで「ここはおいしいな」などと考えているんだなと。

「嫉妬」を感じたらやめようと思った

——売れる小説家になるのは、狭き門ですね。

専業作家というゲームは、合法カジノみたいなものなので、覚悟してやらないとダメなんですよ。心にも体にも悪いゲームなので、楽しめなければやめたほうがいい。どうすれば自分が力を発揮できるかと考えないと生き残れませんが、そう考えたとき、それは純文学という畑ですらないんじゃないかと自己分析して変えていきましたね。

——そこまで客観的に突き詰めることができた理由は?

なんだかんだ言いながら、書いているのが面白かったんです。ただ、僕は本とCDが好きなので、小説に関しては、誰かにジェラシーを感じるようになったら、この道はすっぱりやめようと思っていました。つまり「こいつ、売れていていいなあ」という思いがあったら、唯一の楽しみである書店に行くことが楽しくなくなるじゃないですか。それは僕にとってダメージなので。

ところが、僕には同期の作家がいないので、ジェラシーを感じる機会がなかったんです(笑)。もしもグチを言い合うような相手がいたら、 話しているうちにバカらしくなってやめていたと思いますが、僕はいきなりデビューして、いきなり消えているから、話し相手もいなくて。バンドマンや格闘家など別の分野の友人ばかりで、それが逆によかったかなと思いますね。

——小説というゲームを楽しみながら、成長できたんですね。

売れない時間というのは、勘違いも含めていろいろトライするじゃないですか。やることがいっぱいあって楽しかったですね。何かひとつ見つけては、短いのを書いたり、長いのを書いたり、格闘技のテーマでやってみたり。たぶん、そのまま延々とやっていてもダメだったと思います。

新人文学賞から再びチャレンジ

——純文学からエンタメへの転身は鮮やかでした。

「華麗なる転身」というコピーをつけようとした編集者もいたんですが、やめてくれと(笑)。それは、純文学でうまくいっている人間がエンタメに行ったときに使う言葉であり、僕は仕事がこなかったから〝移籍〞しただけなので。格闘技ではリリースという言葉があって、UFCというアメリカの団体は、3回負けると自動的に解雇されるんです。僕はどっちかというと純文学リリース組。編集者は100枚ぐらいの短編を書かせようとするのですが、それは短編を書かないと芥川賞にノミネートされないから。そういうのを理解するのにも時間がかかりましたが、だったら純文学は向いてないなと。

——プロの作家でありながら、再び賞に応募したきっかけは?

ある編集者から、江戸川乱歩賞にエントリーしたらどうかと言われて。切られたということですが、僕は格闘技が好きなので「アマチュアが強い大会に、プロが出てみるのも面白いな」と解釈しました。それがよかったんじゃないですか。実際、1回目はアマが強くて勝てなかったんですけど、2回目でなんとか〝優勝〞できました。

——格闘技への愛が伝わってくるエピソードです。

子どもの頃、一番なりたかったのはプロレスラーでしたが、14歳のとき、スコット・ノートンという新日本プロレスの選手を目の前で見た瞬間、俺には無理だなと思った。小説家になったのは、夢破れた結果なんですよ。

でも、物語というのは、本来は夢破れた人たちのためにあって、その思いは経験がないとわからない。それを書きながら学んでいきましたね。どんな世界でも、最初は一番を目指したいとか、賞を獲りたいなどと思いがちですが、実は逆。負けるとはどういうことなのかがよくわかってきたときに、意外と賞がもらえたりするんです。

小説は、現実の危機とリンクしている

3.11 が転機になった

これほどの破局が現実に起きて、それでもなお問いかける物語とはどういうものなのかと考え直しました。そこをクリアできないと、これからは本も出ないだろうと思ったんです。

コロナ禍で考えたこと

人間がどれだけ娯楽を求めているか、身を通してわかりました。現実の波に飲み込まれる中、正気を保たせてくれるのはフィクション。エンタメを作る人間こそ正気を保たないとダメです。

佐藤究
1977年福岡県生まれ。2004年『サージウスの死神』(群像新人文学賞優秀作)でデビュー。16年『QJKJQ』で江戸川乱歩賞、18年『Ank: a mirroring ape』で大藪春彦賞・吉川英治文学新人賞、21年『テスカトリポカ』で山本周五郎賞・直木賞を受賞。

※本記事は2021年10月号に掲載した記事を再掲載したものです。