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第11回「小説でもどうぞ」佳作 佐々木さん/むらきわた

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第11回結果発表
課 題

別れ

※応募数260編
「佐々木さん」むらきわた
 八月末で佐々木さんが退職することになりました、とマネージャーは朝礼の終わりに取ってつけたように言った。何か話しておきますか、と訊かれると、佐々木さんは祖父が孫と話すときのような笑顔で首を横に振った。
 送別会は二十七日です。幹事は向井さん、お願いしますね。はい、と私は即答していたが、その日はネイルの予約と重なっていた。予約変更をすると、早割は使えない。
「佐々木さんはなんで仕事を辞めるんですか。八月って、まあキリは悪くないですけど」
「それは、宝くじが当たったからですよ」
 佐々木さんはお弁当のハンバーグを箸で細かく切りわけながら言った。
「マジですか」
「マジです。けれど、一等じゃないですよ。三等です」
 私はスマホで三等の当選金額を調べた。
「三百万円ってすごいじゃないですか。これで旅行に行ってもいいし、住宅ローンとかも助かるんじゃないですか。ん、でも当たったことって、誰かに言っていいんでしたっけ」
「いいんですよ別に」
「だって私が情報を売っちゃうかもですよ」
「それはそれで」
 佐々木さんは箸置きに箸を置いて、湯呑のお茶をすすった。
「まあでも当たっていないですからね」
「え、当たってないんですか?」
 私は佐々木さんのよくわからんやつ来た、と思った。佐々木さんは白髪まじりの頭をなでながら、
「すいません。つい、つまらないことをね、言っちゃいますよね。でも実際に当たったとしたら、向井さんは嬉しくないですか」
「そりゃあ嬉しいですけど」
 私はスプーンでピラフのグリンピースを選り分けながら、こうして佐々木さんと昼食をとるのもあと九回なんだな、と思った。

 佐々木さんとペアを組んで一年になる。
 自社製品に関する〈お客様からの質問〉やら〈お客様からの声〉やらをまとめてきた。
 興味のない業務だったが、女性だしきっと向いていると思うよ、と根拠なく推されて異動となった。蓋を開けてみると、次年度からアウトソースされる業務だったので、なんだ気楽にやれるじゃん、と思うことにした。
 私たちは優秀なわけではなかったが、うまく仕事をこなすことに長けていた。佐々木さんと私はなんだかすごいエクセルを作って、膨大な数のお客様からの質問と声を、今までの半分の時間でさばけるようにしてしまったのだ。おかげで私たちは少し長めの昼休みをとることができた。裏通りにある喫茶店のなかは薄暗く、外からは営業していないように見えた。
「佐々木さんいなくなっちゃいますし、ひとりでここに来ると、悪目立ちしますかね」
「いやあ、私は前の部署にいたとき、ひとりでここに来ていましたよ」
 ここに来ると、佐々木さんは必ずウィンナーコーヒーを頼む。佐々木さんとここに来るのも最後かもしれない、と私は急に思った。
「佐々木さん、私、気づいたんですけど、」
「はい、なんでしょう」
「私も別にこの会社じゃなくていいなって」
 佐々木さんは陶器製の分厚いスプーンで、コーヒーに浮かぶ生クリームをすくいとってから言った。
「私もそう思った時期がありましたが、なんやかんやで、ここまで来てしまいましたね」
「それって、どんな感じなんですか」
「なんでしょうね。特に今日みたいに晴れた日には思いましたよ。仕事は僕にとって誰もいない喫茶店みたいなものだなって。誰もいない喫茶店は時間が止まっていますから」
 私は桃のタルトにフォークを突き刺した。
「だから、ここを出ることにしたんですか」
 佐々木さんはカップを両手で抱えて、くるくると大事そうに回したあと、底まで飲み干すために口に近づけた。潮時ですかね、と私はいかにも間抜けなことを言っていた。

 佐々木さんからの断りがあって、送別会は開催されなかった。佐々木さんは最後の日、オフィスにいるひとりずつに挨拶をして回った。ひとこと、ふたことで終える人もいれば、五分ほどかけて昔の話をする人もいた。佐々木さんの胸のポケットからは、私の贈った赤いハンカチがのぞいていた。
 部屋を出るとき佐々木さんは、ドアの前で深々とお辞儀をした。私たちも仕事の手を止めて静かに頭を下げた。
 私は仕事を終えてから、ネイルサロンに行った。紅白のフレンチネイルをお願いします。美しく完成した私の指先を見て、ネイリストさんは赤もお似合いですね、と言った。
 両手を前に広げながら、私は九月末に会社を辞めることを決めていた。
(了)