作家インタビュー 2022年本屋大賞受賞 逢坂冬馬
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ライター:古沢保
『同志少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞し、作家デビューを果たした逢坂冬馬さん。同作は2022年本屋大賞も受賞し、第166回直木賞候補にものぼるなど、いま最注目の作家といえよう。第二次世界大戦中、独ソ戦に参加した女性狙撃兵という、知られざる存在にスポットを当てた理由や、修業時代の苦労と創作に対する姿勢を聞いた。
逢坂冬馬
1985年、埼玉県出身。明治学院大学国際学部国際学科卒。2021年、『同志少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞。全選考委員が5点満点をつけたのは史上初だった。同作で第166回直木三十五賞候補となり、第19回本屋大賞、第9回高校生直木賞を受賞。
『同志少女よ、敵を撃て』
(逢坂冬馬著・早川書房・2090円)
独ソ戦まっただなかの1942年。ドイツ軍に母親を殺されたセラフィマは、復讐のため、女性だけで構成される狙撃小隊の一員に。やがて激戦地スターリングラードの前線へと向かうことになる。
カテゴリーエラーで
長年迷った末に見つけた応募先
――母校が明治学院大学なんですね。「公募ガイド」本誌では同大卒の高橋源一郎さんに連載をお願いしていますが、接点はありますか?
逢坂学内で懸賞論文を実施していて、第29回と第30回に応募して両方とも学長賞を取ったんですけど、その時の審査員長が高橋源一郎先生でした。選考会の場で「彼、ここまで書けるんだったら小説家になればいいのにね」って言ってくださっていたのを去年くらいに聞いて、励みになっていました。アガサ・クリスティー賞受賞後は、2回ほど高橋先生のラジオに出演させていただいています。
――学生時代にはもう、小説を書き始めていたのですか?
逢坂書き始めたのは、2008年に大学を卒業してからですね。就職して働いていても面白くなくて、ふと思いついた話を書いてみたら、上手い下手は別にして最後まで書き切ることができました。これは向いてるんじゃないかと思い、公募に出したら一次選考も通った。それで小説を書くことは楽しいと気づき、執筆の時間を長く取れるように、プロの小説家になりたいなと思ったんです。
――ジャンルとしてはエンタメに入るのでしょうか?
逢坂実は長年、自分が何のジャンルを書いているのか分からなくて、完成させても公募に送れないことがありました。一般文芸でエンターテインメント性が強い長編を応募できる公募って意外とないし、まして戦争小説を受け入れるところなんて見当たらない。僕が書いてるのってライトノベルなんだと思って、最初に送ったのが「電撃小説大賞」でした。でもそれが、カテゴリーエラーの始まりでした(笑)。桜庭一樹さんもラノベから一般文芸に移ったので、そういうふうになろうと思ったんですけど、募集要項に「何でもあり」って書いてあっても、「ウチじゃありません」って評価シートをもらうことも多くて。
――アガサ・クリスティー賞には、なぜ応募したのですか?
逢坂2017年に要項をよく読んだら、ミステリーの賞だけど「冒険小説やスパイ小説も広義のミステリーとする」と明記されていて、上限も800枚と多い。推理要素ゼロの作品を送ったら一次選考を通って、ここなら受け入れてくれるとわかったんです。なおかつ、「機龍警察」の月村了衛先生や小川一水先生など、早川書房から出ている作家さんに魅力を感じていたので、これは自分に最適じゃなかろうかと。それ以降はとにかく毎年1本書けたらこの賞に送ると決め、4回目で受賞できました。
誰も小説で取り上げていない
からこそ、
自分が書きたい
――戦争を題材にしたいという強い思いがあったのですか。
逢坂嫌いであるがゆえにテーマにしたかったんです。戦争そのものは絶対悪だし、人間のなす行為で最悪のものだと考えています。戦争は恐ろしいものであることを表現したいから、書くのだと思います。
――『同志少女』で第二次世界大戦の独ソ戦に参戦したソ連の女性兵士にスポットを当てたのは何故ですか?
逢坂第二次世界大戦の中心軸は、本来独ソ戦だったんですよね。米英軍対ドイツっていうのは、日本人もいろんな作品で慣れ親しんでいますが、大勢が決するまでドイツと戦っていたのはソ連なんです。さらに組織的に女性兵士を登用していたっていうのはほかに類を見ず、ある種のテーマを持ち、語るべき内実がある存在であることは間違いない。なのに誰も取り上げていないからこそ、自分がそれを描きたいと強く思いました。
――この題材については以前から構想を練っていたのですか。
逢坂10年くらい前から書きたい思いはありましたが、うかつに手は出せない素材と思っていました。転機が来たのはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』がノーベル文学賞を取ったことで、これはものすごいものを読んだなって感触があった。時を同じくして独ソ戦の日本人研究者の方が日本人向けに書いたものとか、未翻訳の資料も翻訳されるようになり、資料が手に入るようになってきた。私自身も別の歴史小説を書いたことで、資料を読んでどう小説に取り入れるか、手順のようなものがわかってきたんです。世の中の独ソ戦に対する関心も今までより高まってきたように思えた。最後に「戦争とジェンダー」というテーマを導き出したとき、行くぞって感じで書き始めたのが2020年でした。
緻密な心理描写を可能にした
書き方とは?
――当然ながら逢坂さんは戦争を経験していません。けれど、狙撃兵となった女性たちの心情や関係性を緻密に描けたのはなぜでしょう。
逢坂プロットを作る時に、視点の人物だけでなく相手方の気持ちも考えました。いろんな考え方、価値観の揺らぎっていうものを一通り考えてみたことで、描けたのかなと自分では思います。その上で重要なのは一部だけを露出させること。全部書くと冗長になってしまうし、説明的になってしまうので。その結果、特に死んでいく人に対しては、何だったのかわからない部分が必ず残るし、そういう状態を受け止めるしかない。特に死者と生者に対してはそういう描写をしました。
――膨大な資料を読んだことも心理描写に役立ちましたか?
逢坂資料を読むと、敵を襲撃する際にすごく躊躇する人物もいれば、全然動揺しない人物もいる。それには「慣れ」が大きく関係していて、「慣れていく」ことが自分の小説では重要なポイントでした。怖いのは敵国兵を躊躇せずに殺害する人も、戦争さえなければ普通の人たちだということです。でも戦争は価値観の転換をもたらし、敵に対しては何をしてもいいという前提が突然出現するし、経験を積むと慣れてしまう。そこを描けば心境の変化がうまく書けるんじゃないかと思いました。
――時代考証面での苦労はいかがでしたか?
逢坂軍の資料はたくさんありますが、生活水準や生活習慣は、わからないことが多い。受賞後ですけど、謝辞に名前が出てくるロシア語翻訳家・ロシア文学研究者の奈倉有里先生という、私の姉に原稿を見てもらって、指摘されたところを一生懸命直しました。ある登場人物は最終的にパン工場に勤務しているんですが、脱稿の直前までは個人商店のパン屋を開いている設定にしていました。ところが奈倉先生に「ソ連が崩壊するまでは、個人商店のパン屋は1軒もなかった」と指摘されて。全部国営というのはわかっていたけど、さすがにパン屋くらいはあると思っていたんですよね。姉に見てもらえたお陰で百人力でした。
最大にして唯一の目標は、
一生作家であり続けること
――執筆は会社で働いた後にしていたのですか。
逢坂残業をせずに帰ると7時くらいに家に着く。ご飯食べてお風呂入って、8時に書き始めたら10時まではひたすら集中して書いて、寝ると決めていました。それ以上書くと頭が冴えて眠れなくなってしまうので。土曜日は徹夜が出来る日なんで、モンスターエナジーとか飲んでずっと書いて、日曜日は気持ちよくダウンしていました。今は退職してだいぶ自由になったので、今後の執筆スタイルを模索中です。
――カテゴリーエラーで遠回りしましたが、それで良かったことはありますか。
逢坂あると思いますね、長編を書く体力がついたので。プロを目指す過程としては完全に無駄だったんですけど、とにかく継続して書く力が鍛えられたし、へこたれない精神性も身に着いた。この2つは最大の収穫かもしれません。
――今後はどういう作家になっていきたいですか?
逢坂一生作家であり続けることが最大にして唯一の目標です。そのためにはコンスタントに作品を発表しなければならないし、品質の高いものを書かなければならない、何より自分が書くことを苦痛に思わないようにしなければならない。60歳、70歳になっても新作に取り組んでいける、そういうあり方を目指して、まずは2本目の長編に取り組みたいです。