第8回「小説でもどうぞ」選外佳作 三度目のウソ/吉村涼
第8回結果発表
課 題
うそ
※応募数327編
選外佳作「三度目のウソ」吉村涼
画学生だった僕は、その日旅先の宿屋近くの海岸を歩いていた。静物画の題材になるような漂着物を、探すともなく探していたのだ。
瓶を見つけた。青紫色の不透明なガラス瓶だ。瓶の中から声が聞こえた気がして、僕は苦労してコルク栓を外した。
「ありがとう、助けてくれて。」
突然声を掛けられた。モーニング姿の小太りの紳士が立っていた。
彼は、馬鹿正直な性格が魔女の怒りを買って、ワインボトルに閉じ込められてしまっていた、とウソみたいな説明をした。
お礼に、ウソを三度ついてもいい、と言ってくれた。どんなウソでも、言った途端に本当にしてあげる、と言って彼の姿は消えた。
普通は三つのお願いじゃないか、瓶に詰まった気体を吸って幻を見たんだ、などと思いながら僕は宿に帰った。
次の日、宿を発つことにした僕は、逗留していた十日分の請求書をカウンターでもらった。意外に高かった。「あれっ、無料招待じゃなかったっけ。」僕は下手な冗句を言った。真に受けた仲居が奥に確認に戻ると、ノートを持った主人が小走りに出てきて、言い訳を早口で連ね何度も頭を下げる。持ってきた予約ノートを見ると、僕の名前の後に『オーナー指示 VIP 無料ご招待』と記載されていた。
これが、本当になってしまった一度目の僕のウソ。
美大をでた僕は、今は一人で小さな画商をやっている。画家になる才能は無かったが美術の世界から離れられなかったのだ。
僕は絶対にウソはつかない男になっていた。瓶を見つけた日以来、ウソが本当になってしまうのが怖かった。真っ正直な画商は、信用はあっても金が儲かるはずがない。そんな貧乏画商の僕も、人並みに結婚したい女性がいた。近所の食堂の娘で、柔らかな笑顔の女性だ。プロポーズの決心がつかずに悩んでいた、僕はあまりにも貧乏だったのだ。
「世界の贋作展」という奇妙な展覧会が開催されたのは、そんなときだ。会場を回りながら、僕は結婚のために二度目のウソをつく決心をした。
目をつけたのは、ナチスドイツをも騙したという贋作者の、新たに発見されたという絵だ。市松模様の床、画面左の窓からの光、踊り子のポーズを真似る少女、ひょっとしたら本物か、と思わせる出来映えの絵だ。
絵の所有者に連絡を取り、言い値で絵を買い取った。高名な鑑定家の元に、有名作家の本物の作品だ、と言って持ち込んだ。
最初は相手にされなかったが、一カ月後に鑑定結果を持って鑑定家が僕の事務所に駆け込んできた。彼は、本物に間違いない、ただ自分の鑑定だけでは心許ないだろうから、私の責任で国内外の専門機関に鑑定を依頼させて欲しい、と言った。彼は世紀の大発見の発見者に名を連ねたいようだ。
それからの事態の展開は、僕の思惑を超えるスピードで進んだ。
欧米の研究所や美術館の、研究者や鑑定員から報告が相次いだ。X線検査、絵の具・キャンバスの組成分析、サインの同定確認、筆使いの分析、全てが本物であることを証拠づけた。そして、傍証ながら決定的だったのは、「……踊り子のポーズをとる少女を・・・」という作家の手紙が発見され、同じ頃に書かれたデッサンまでが偶然にも見つかったことだ。
贋作は、僕のウソで本物になった。
お陰で僕は大金を稼ぐことが出来た。一躍有名人になった僕は国内外で忙しい毎日を送ったが、その騒ぎも半年ほどで収まった。
僕は、大金を得た自信を胸に彼女のいる食堂に行った。彼女は幼なじみの公務員の男と結婚すると言った。彼女は、貧乏画商の僕も、あぶく銭成金の僕も、どちらも結婚対象とは全く考えていなかったのだ。
僕は、ラーメンを一杯食べて家に帰った。自棄酒を飲みベッドに倒れ込み呟いた。
「あんな真面目なだけの娘、僕は可哀想に思っていただけで、もともと好きじゃなかった、否、嫌いだったんだ」
翌朝、僕は素晴らしく快適な気分で目覚めた。何故自棄酒なんか飲んだのだろうか。さあ、街に出かけよう、新しい恋を探しに。
僕は家を出た、何か忘れものをしている気もしたけれど。
(了)
瓶を見つけた。青紫色の不透明なガラス瓶だ。瓶の中から声が聞こえた気がして、僕は苦労してコルク栓を外した。
「ありがとう、助けてくれて。」
突然声を掛けられた。モーニング姿の小太りの紳士が立っていた。
彼は、馬鹿正直な性格が魔女の怒りを買って、ワインボトルに閉じ込められてしまっていた、とウソみたいな説明をした。
お礼に、ウソを三度ついてもいい、と言ってくれた。どんなウソでも、言った途端に本当にしてあげる、と言って彼の姿は消えた。
普通は三つのお願いじゃないか、瓶に詰まった気体を吸って幻を見たんだ、などと思いながら僕は宿に帰った。
次の日、宿を発つことにした僕は、逗留していた十日分の請求書をカウンターでもらった。意外に高かった。「あれっ、無料招待じゃなかったっけ。」僕は下手な冗句を言った。真に受けた仲居が奥に確認に戻ると、ノートを持った主人が小走りに出てきて、言い訳を早口で連ね何度も頭を下げる。持ってきた予約ノートを見ると、僕の名前の後に『オーナー指示 VIP 無料ご招待』と記載されていた。
これが、本当になってしまった一度目の僕のウソ。
美大をでた僕は、今は一人で小さな画商をやっている。画家になる才能は無かったが美術の世界から離れられなかったのだ。
僕は絶対にウソはつかない男になっていた。瓶を見つけた日以来、ウソが本当になってしまうのが怖かった。真っ正直な画商は、信用はあっても金が儲かるはずがない。そんな貧乏画商の僕も、人並みに結婚したい女性がいた。近所の食堂の娘で、柔らかな笑顔の女性だ。プロポーズの決心がつかずに悩んでいた、僕はあまりにも貧乏だったのだ。
「世界の贋作展」という奇妙な展覧会が開催されたのは、そんなときだ。会場を回りながら、僕は結婚のために二度目のウソをつく決心をした。
目をつけたのは、ナチスドイツをも騙したという贋作者の、新たに発見されたという絵だ。市松模様の床、画面左の窓からの光、踊り子のポーズを真似る少女、ひょっとしたら本物か、と思わせる出来映えの絵だ。
絵の所有者に連絡を取り、言い値で絵を買い取った。高名な鑑定家の元に、有名作家の本物の作品だ、と言って持ち込んだ。
最初は相手にされなかったが、一カ月後に鑑定結果を持って鑑定家が僕の事務所に駆け込んできた。彼は、本物に間違いない、ただ自分の鑑定だけでは心許ないだろうから、私の責任で国内外の専門機関に鑑定を依頼させて欲しい、と言った。彼は世紀の大発見の発見者に名を連ねたいようだ。
それからの事態の展開は、僕の思惑を超えるスピードで進んだ。
欧米の研究所や美術館の、研究者や鑑定員から報告が相次いだ。X線検査、絵の具・キャンバスの組成分析、サインの同定確認、筆使いの分析、全てが本物であることを証拠づけた。そして、傍証ながら決定的だったのは、「……踊り子のポーズをとる少女を・・・」という作家の手紙が発見され、同じ頃に書かれたデッサンまでが偶然にも見つかったことだ。
贋作は、僕のウソで本物になった。
お陰で僕は大金を稼ぐことが出来た。一躍有名人になった僕は国内外で忙しい毎日を送ったが、その騒ぎも半年ほどで収まった。
僕は、大金を得た自信を胸に彼女のいる食堂に行った。彼女は幼なじみの公務員の男と結婚すると言った。彼女は、貧乏画商の僕も、あぶく銭成金の僕も、どちらも結婚対象とは全く考えていなかったのだ。
僕は、ラーメンを一杯食べて家に帰った。自棄酒を飲みベッドに倒れ込み呟いた。
「あんな真面目なだけの娘、僕は可哀想に思っていただけで、もともと好きじゃなかった、否、嫌いだったんだ」
翌朝、僕は素晴らしく快適な気分で目覚めた。何故自棄酒なんか飲んだのだろうか。さあ、街に出かけよう、新しい恋を探しに。
僕は家を出た、何か忘れものをしている気もしたけれど。
(了)