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第6回「小説でもどうぞ」最優秀賞 雪/市田垣れい

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第6回結果発表
課 題

※応募数394編
「雪」市田垣れい
 珍しく大阪に雪が降った。水分の少ない雪なのか、防水加工のダウンジャケットに当たるとパラパラと不規則な乾いた音がした。アスファルトに落ちた雪は、しばらく形をとどめてから吸い込まれるように消えた。雪が積もるにはまだ気温が高いのだろう。空から落ちては消えていく、はかない雪をしばらく見てから私は電車に乗った。
 乗換駅で私はいつもの車両のいつもの座席に座った。遅れて彼も私の斜め前のいつもの座席に座った。
 何気なく二両目の連結部に一番近い座席に座ったのは二週間前のことだ。ふと顔を上げると彼は私の斜め前に座っていた。それから毎朝、彼を見るため私はここに座るようになった。
 私に与えられるのは、彼が電車を降りるまでの十五分間。降りる駅から察すると、彼は府立高校生のようだ。着ているのは制服ではなく運動着。運動部に入っているのかもしれない。彼の日焼けした顔やがっしりした体格、中でも太腿の太さから、私は彼がラグビー部だとにらんでいる。いかにもスクラムが得意そうだ。
 通路を隔てて一メートル半。ずっと彼を見るわけにもいかないので、私は手にした本を顔の高さまで持ち上げて盾にする。目線は本を通り越して彼の様子を盗み見している。毎日持ち歩くが、その本『 細雪 』は、少しも読み進めないのだ。
 足元に置いたスポーツバッグには、お母さんが持たせてくれたドカ弁が入っているのだろうか。床に降ろした時、かなり重そうな音がした。
 彼は座席に座るとイヤホンをつけてスマホに見入るが、隣に座ろうとする人が来ると、すばやく反応する。足元に置いたバッグの紐や着ているウインドブレーカーの裾が、隣の座席に邪魔していないかを点検するのだ。そんな気づかいを瞬時にできる彼は、厳格な家庭でしつけられたのだろうか。彼を毎日観察していると、自分の想像力のたくましさに笑いそうになる。
 彼は向かいのホームに停まる急行から降りてきて、この電車に乗り換えるのだ。私は急行の中に立っている彼さえ、見つけることができるようになっていた。
 大きな発見もあった。いつもは閉まっている彼のウインドブレーカーのファスナーが半開きになっていて、下に着ている体操着に刺繡されたネームが見えそうだった。
 始めの文字は『 堀 』だった。もう一文字ありそうだが、見えそうで見えない。彼が動く度にちらちら見えるがわからない。何やら『 はらい 』のようにも見えるが、漢字ではなくクラスを表すアルファベットなのか。いやクラス名なら、姓の前に表示するはずだ。
 ああ、もう少し上着がめくれないかな。連結部から風が吹いて、上着を少しめくってくれないだろうか。そう思った時、彼が左手を上げて頭をカリカリと掻いた。いいぞ、左手。
 ようやく見えた文字は『 尾 』だった。
 彼は堀尾くんというのか。
 私はいつの間にか本を下ろして、膝の上に置いていた。彼が降りてしまうと、私はようやく用を終えた本をリュックにしまって、長いため息をつく。

 年下の彼にまつわる情報がジグソーパズルのピースのように一つ増えた。私は誇らしげに、新しいピースを朝日にかざして鑑賞する。
 座席の左側にある連結部の小さな窓から、降っている雪が見える。雪は車両に当たると、瞬時に溶けて消えていく。乗客はもう、あらかた降りてしまった。今日も終点まで行くのは私くらいだろう。
 これからも私はただの観察者だ。声をかけることも、視線を絡ませることもないだろう。
 私は還暦を過ぎたおばあさんなのだ。しかし、いくつになっても、初雪である。
(了)