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第78回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「舞台の幕」谷村候季

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作文・エッセイ
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第78回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「舞台の幕」谷村候季

 ある金曜日の昼下がりに、私は地方の小さな人形劇場に来ていた。乗ろうとしているバスが来るのが一時間ほど後なので暇になってしまったからだ。古びた小さな建物で、はるか昔にタイムスリップしたようだった。建物に入ると、受付にいた老婆はこちらを一瞥しただけだった。入場料は無料だったので、歩き疲れていた私は演目が何かも見ずに席に着いた。周りを見渡すと、観客は私一人であるようだった。舞台に人形劇のセットと一緒にくたびれた衣装の老人が現れ、気の抜けるようなファンファーレと共に人形用舞台の幕が上がった。老人は器用に糸を手繰り、特に面白味のないストーリーを演じた。しばらくした後に、私は次のバスを待っていたことを思い出して席を立った。観客が誰もいなくなったはずなのに人形のたてるカタカタという音は止まなかった。老人は劇を続けているようだった。舞台のほうを振り返ると人形遣いの老人は優しい微笑みを浮かべて私をじっと見つめていた。少し申し訳なく思いながら出入り口の幕をくぐって外へ出た。受付の老婆は顔を上げることさえしなかった。長い間座っていたためこわばった体を伸ばすと、体の節々からポキポキと音がした。

 休日になればあの人形劇場にも誰か来るのだろうかなどと考えながらバス停に行くと目当てのバスは丁度出発したところだった。時刻表を見ると次のバスが来るのはだいぶ先のようだった。少し苛立ちながら、私は歩いて帰ることにした。歩きながら先ほどまで見ていた劇について考えていたが、やがてその考えは普段の仕事のことなどにとってかわられてしまった。しばらく歩くと道に舞台にかかっているような幕が下りていた。唐突に道路を遮断するように下りている幕を通行人は誰も不思議とは思ってない様子だった。私は戸惑いつつも幕をくぐった。

 幕の向こう側はいたって普通の、先ほどまで歩いてきた道が続いているだけだった。突然、通行人達は一斉に足を止めて、私をじっと見つめた。人々の目はガラス玉のようで、誰の顔にも表情はなかった。恐ろしくなり振り返ると、幕は消えていた。来た道が続いているだけだった。私は人々の視線から逃れるために必死で走った。人気のない路地裏に来たところで足がもつれて転んでしまった。派手な転び方をした割には痛みが無かった。不思議に思いながら手を見ると、手首から先が欠けていた。驚いて近くの水たまりに自身を映すと、ガラス玉のような目をした無表情な私がいた。ふと人の気配を感じて視線を向けると、人形遣いの老人が優しい微笑みを浮かべながらこちらを見ていた。老人は欠け落ちた私の手を拾い上げ、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。私は何が起こっているのか理解できないまま、悲鳴をあげて再び逃げ出した。足がうまく動かず、ふらつきながらも私はどこかへ逃げなければという一心で走った。日が暮れて夜になっても街灯は点灯せず、どの建物にも光は無かった。私は走ることを止め、あてもなく一晩中真っ暗な街をさまよい続けた。時間が経つにつれ、体に力が入らなくなっていくのを感じた。夜が明ける頃には私は自分がなんのために歩いているのかさえ分からなくなっていた。全身からカタカタという音を立てながら歩いていくと、また道に幕が下りていた。私は何も考えず、吸い込まれるようにその幕をくぐった。幕の先は歩いてきた道の続きではなく、舞台のような場所だった。太陽の代わりに裸電球が煌々と輝き、薄っぺらな建物が並んでいた。私の体は木張りの床に、乾いた音を立てながら糸が切れたように倒れ込んだ。指先さえ動かせず、声も出せなかった。蝶番が軋むような音を立てながら天井が開き、人形遣いの老人が私を取り上げた。老人は優しい微笑みを浮かべながら私の欠けた手を元通りに修理し、手足に糸を取り付けた。気の抜けるようなファンファーレと共に幕が上がり、特に面白みのないストーリーの主人公の私を、客席の目を輝かせた子どもたちと疲れた顔をした親たちが見ていた。

(了)