第78回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「除幕式」那智石勘太
全員が社屋一階のエントランス広場に集まった。冷蔵庫ほどの重厚な台座。その上の丸みをおびた物体が白い布で覆われている。布から左右に紅白の長い曳綱が下がる。
社員の整列を確認して司会の女性がアナウンスした。
《お待たせいたしました。ただいまより除幕式を執り行います》
弓岡専務の挨拶に続いて、来賓、役員たちが曳綱を手にする。
《準備が整ったようでございます。私が「どうぞ」と申し上げましたら、綱をお引きください》
《どうぞ!》
ファンファーレのBGMが流れる。スルリと布が取り払われた。下からブロンズの胸像が現れた。
ブルドッグを思わせる顔つき、広い額、短い首、深い眼窩の奥から覗く鋭い眼。前社長・甲斐文吾の風貌を見事なまで再現している。少し精悍さを上乗せしてあるように見えるのは、この手のものに特有のサービスなのだろう。
こちらはサービスかどうか、社員から盛大な拍手が起きた。
《ここで就任のご挨拶を甲斐俊彦・新社長にお願いいたします》
胸像の前に新社長がおずおずと進み出た。父親の文吾がブルドッグなら息子である俊彦はチワワといったところか。小柄で線が細い。緊張のためか普段よりも萎縮して見える。頭上、背後に胸像の顔が位置する。権威付けを狙ったのかもしれない。成功しているとは言いがたかった。
「えーこのたび、取締役会の、そ、そ、総意を得まして、えー社長の大役をおお、お仰せつかりました。えー……、あ、あれ……えー……」
見る見る俊彦の顔が青ざめていく。すかさず弓岡が後ろに付く。耳打ちを受けながら俊彦はなんとか挨拶を続ける。
甲高い俊彦の声を聞きながら、ひそひそ話す社員も出てきた。
「あれで大丈夫なのかね、うちの会社」
「大丈夫じゃないだろ。前社長の敷いたレールだって話だが、もう世襲の通用する時代じゃない」
「親父さんの社長も社員には厳しかったのに、息子にだけは大甘だったからな」
「俺は、てっきり切れ者の弓岡専務が就任するものと思ってた」
「ああ、新社長はまだ若い。いずれ就任させるにしても、弓岡専務を中継ぎにしたっていいはずなんだ。専務もそのつもりだったんじゃないかな。心中察して余りあるよ」
「でも、ああして献身的に寄り添う姿を見れば、忠誠を誓ってるってことだな」
「できた人だよ」
新社長の挨拶をもって除幕式は終了した。社員たちは仕事に戻っていく。
掃除の中年女性が終了後のフロアーをモップがけする。最後に胸像の前へやってきた。深々と一礼してから脚立を置いた。柔らかい布巾で頭のてっぺんから磨く。子どもの顔でも拭いてやるような優しい手つきだった。
脚立をそろそろと女性が降りる。弓岡専務が駆け寄って手を添えた。
「あら、専務さんありがとうございます」
「気の張る仕事が一つ増えましたね」
「いえいえ」
女性がお辞儀をして去ったあと、一人残った弓岡専務は胸像を仰ぎ見た——。
和服姿の甲斐文吾会長はイヤホンを装着して〈再生〉をクリックした。
パソコンのディスプレイは全面白くぼやけている。
御殿と呼ばれる甲斐邸の離れ。借景を誇る和室に電子機器の類は不釣合いだった。
《準備が整ったようでございます。「どうぞ」と申し上げましたら、お引きください》
《どうぞ!》
さっと画面が明るくなった。社員たちが拍手をする。〈一時停止〉——文吾は一人ひとりの表情を鋭い目で確認していった。〈再生〉——俊彦新社長の後頭部が現れて挨拶が始まる。文吾は音量を上げた。
『あれで大丈夫なのかね、うちの会社』
『大丈夫じゃないだろ……』
社員のひそひそ話もはっきり聞きとれる。すかさず文吾は会話の主を手元にメモした。
胸像の眼にはカメラ、台座には集音マイク。文吾が密かに仕込んだ。ともに株式会社甲斐電気の最新ドライブレコーダーに使われているものと同じ。これで社員・来訪者の出入りを自ら監視、いや見守ることができる。
……掃除の女性の丁寧な仕事ぶりを文吾は満足げに見届けた。そこへ現れた弓岡専務が見上げてきた。視線が合う。
ぞっとするほど冷たい目だった。
(了)