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第76回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ええい、ままよ。」紅帽子

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第76回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ええい、ままよ。」紅帽子

 ええい、ままよ。こうなったら突っ走るしかないわ。でも、暗い。なんて暗い道なの。なんにも見えやしない。いつからだろう、こんなに暗くなったのは。この暗さを漢字一字で表すと、そうだな、「黒」でもなく「闇」でもなく「暗」でもなく、そう「玄」だ。玄は黒を意味するってずいぶん前に教わった。もう前世のような昔だ。

『玄米ちゅうのはな、黒い米やで。それにな、玄鳥て書いて、なんて読むか知ってはる?ツバメのことやねん。黒い鳥や』

 国語の時間に変な関西弁を喋る、禿げた中年教師から習った覚えがある。でももうすごく昔のことだしあまり覚えていない。

 出発したときはあんなにポカポカしていたのに。もちろん私一人で旅立つのは不安だった。道は険しいものだと頭では理解していた。しかしこんなにも辛くて厳しい道が続くとは想定外だよ。

 ぬくぬくと私が育った場所、そこから旅立った日のことは忘れない。

 がんばってー。誰もが通る道よー。

 そう、新たな命を生きる旅。前途洋々の旅立ちだった。

 細い。なんて細い道なの。余裕綽々で進んでいたのに、時間が経つうちに道は狭まっていく。出発したときはあんなにふかふかしていたのに。もちろん安全な道がずっと続くとは思っていなかった。思わぬ試練が訪れるだろうと予想はしていた。でもどんどん細くなっていく道、これじゃ人生、先細りじゃないの。

 いやな音。さっきから変な音がしている。なんなの、この音は。私の後ろから聞こえてくる。誰かにつけられてる?そんな馬鹿な。私はここまで一人で歩いてきた。いきなり誰かが追いかけてきた?

「ねえちゃん、ねえちゃん」

 奴が声をかけてきた。

 誰?暗くて顔が見えない。

 私は急ぎ足で遠ざかる。

「そこのねえちゃん、あんたや、あんた」

 なれなれしい関西弁。無視して逃げる。

「なんで、返事せえへんの」

 こんな奴につかまるわけにはいかない。

「わて、怪しいもん、ちゃうで」

 わ、ほんとにそんなこと言う奴いるんだ。怪しい奴の決まり文句。……お嬢さん、私は怪しい者ではありません……そんなことフツウ言わない。テレビドラマでしか聞いたことない。こいつ、ぜったい怪しい。

 ひょっとして関西弁の国語教師か。前世からやって来た?

 逃げるが勝ち。私は全速力で駆け出した。

「待ってえな、ねえちゃーん」

 息が切れる。でもあいつを巻いてやった。これで大丈夫。

 私は深呼吸を三回した。

「ねえちゃん!」

 わ、すぐ傍にいた。

 何ものよ、こいつ。なんて足が速いの。こいつから逃げるのは無理かもしれない。

 狭くて暗い道、一緒に歩くしかないの?襲われたらどうしよう。でもどうしようもない。

 ええい、ままよ。どうにでもなれ!

 ていうか、どうにもならないことを、くよくよ考えたってしかたない。落ち込むことはあるけれど、いちいち悩んだりなんかしちゃいけない。私はそうやって生まれるのだから。そう、それは比喩でなく事実としてそうなのよ。

 私は泳ぎだした、全速力のクロールで。奴もついてくる。え、あんた平泳ぎかよ。しゃあないな、二人でこの荒波を泳ぎ切れ。

 狭い、苦しい、暗い。しかも、ああ閉ざされている。ここは関なの?いったいどうすれば光り輝く場所にたどりつけるの。暗い「玄」をとおり、閉ざされた「関」に至った。そう、ここは玄関のはず。あ、光が、行き先に光が見える。玄関が開いたのだ。……あ、頭を掴まれた。ぐいぐい引っ張られる。痛い、やめて、やだやだやだ。「ねえちゃーん。」

 だめよ、逃げちゃいけない。深ーく息を吸って、大きく吐いて……。そう、そう、じょうずよ。

 あ、突然。

 すっぽり体ぜんたいが抜けた。光が満ち満ちている。私は声をあげた。おんぎゃあー。

 私は誰かのお腹の上に置かれた。あれ、隣にいるのは、ねえちゃんって言いながら私を追ってきた奴じゃない?同じように誰かのお腹の上に乗せられている。顔をよく見ると、あらま、私とそっくりだわ。

 誰かのお腹の上は温かかった。私は顔をあげた。誰かと目が合った。その誰かが笑顔で私に呼びかけた。「こんにちは双子の赤ちゃん、わたしが、yeah!ママよ。」

(了)