第75回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「さるかに非合戦」太田奈津子
「おっとっと。いけねえ、いけねえ。またやっちまうところだった。」
猿は青くてかたい柿の実をにぎりしめた手をあわててひっこめました。
「おれがこんなことをするから、猿は意地悪だっていうイメージを子どもたちにうえつけてしまうんだ。今、ママに本を読んでもらっている坊やも、『小さな蟹をいじめるなんて、猿ってほんとうに意地悪だね。』なんて言い出すにちがいない。おれがここで我慢しさえすれば猿の名誉も守れるってものだ。」
猿はよく熟した食べごろの実を枝からもぎとると、
「そら、やるよ。」
と木の根元にいる蟹に放り投げました。
驚いたのは坊やに絵本を読んであげていたママです。
「優しい猿はいちばんおいしそうな柿の実を蟹にあげました……。あら、おかしいわ。この場面は猿が青くてかたい実を蟹に投げつけるところなのに。」
「おかしくなんかないさ。今日から〈さるかに合戦〉は優しくて親切な猿の物語になるのさ。」
猿は鼻高々です。
「ねえママ、はやくお話の続きを読んでよう。」
坊やがママをせかします。
「おっと、こうしちゃいられねえ。」
猿はおいしそうな柿の実をせっせともいでは蟹に向かってぽんぽん投げました。
ママはお話の続きを坊やに読んであげます。
「おいしい柿の実をたくさんもらった蟹は、ありがとう、ありがとうと猿にお礼を言いました。こうして猿と蟹は仲のいい友達同士になったのです。」
「よかったね、ママ。猿はちゃんと蟹との約束を守ったんだね。」
これで一件落着。めでたし、めでたし。
と、いきたいところですが、
「ちょっとまった!」
物言いをつけてきた者たちがいました。
蟹をいじめる猿を懲らしめようと次のページで待機していた栗と蜂と臼と牛糞です。このままでは自分たちの出番がなくなってしまいます。
「登場人物の一存で古来日本に伝わる物語を改竄するのは如何なものかと思いますがね。」
少し偉そうな言い方で栗が言いました。
「決戦に備えて毎日欠かさず手入れしてきた自慢の針をひっこめるなんてできるわけがない。」
蜂がお尻の針の先を光らせながら言いました。
「普段物置の隅に追いやられているぼくの唯一の活躍の場をなくさないでほしいなあ。」
臼が大きな体を揺らしながら言うと、
「すってんころりん転ばせて意地悪な猿にとどめを刺すのはぼくの役目。こればっかりは譲れない。」
牛糞も黙ってはいません。
あと少しで汚名返上、心優しい猿の物語になるところだったのに、とんだじゃまが入ってしまって、猿はおもしろくありません。
「だまれだまれ。おれの家来になるというのなら出番をやってもいい。それがいやならおまえたちのページはびりびりに破いてやるぞ。」
猿はそう言っておどしました。
「そうはさせるか。」
栗たちもまけてはいません。
とうとう坊やの本の中でたたかいが始まってしまいました。
「これでも食らえ。」
と、猿が青くてかたい柿の実を栗や蜂たちに向かって投げつけると、怒った栗が熱々の焼き栗になって猿にとびかかりました。蜂は自慢の針で猿のお尻をえいっとひと刺し。おどろいて尻もちをついた猿の上に臼がどすんと乗っかります。やっとの思いで猿は臼の下から這い出しましたが、そこに待ちかまえていた牛糞ですべってすってんころりん。
「わー、降参、降参。」
猿は泣きながら山へ帰っていきました。
「もう少しで優しい猿になれそうだったのに、がまんができなかったんだね。」
坊やが言いました。
「そうね、途中がちょっとちがったけれど、最後はママが知っているとおりのお話だったわ。」
ママがこたえました。
「お前たち、よくお聞き。」
母さん蟹が子蟹たちを呼んで言いました。
「猿はほんとうにずるがしこいから簡単に信用してはいけないよ。でもね、だからと言って、栗や蜂たちのように集団で仕返しをするのが正しいことなのだろうか。自分たちでよく考えてごらん。」
(了)