阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「目の保養」林純
うちのなかで いつも わたしをみおろしているもの なーんだ?
天井? 違うよ。
照明? それも違う。
「目」だよ。
うちの天井の照明の横に「目」がいる。
片目。一つ目かもしれない。
二階建てオンボロアパートの二階。高校を出てすぐに一人暮らしを始めた部屋。建物の外見はともかく、部屋は小綺麗で女の子の家としては申し分ない上に、超格安物件。六畳一間にキッチンと、トイレとお風呂。この六畳の部屋に「目」がいた。
気がついたのは、引っ越して来た日。
初めに「目」と目が合った時は、ぽかんと口を開けたまま動けなくなった。
二重でまつ毛が長い、虹彩は薄い茶色、瞳孔は黒いという人間の目と同じ形状の一つ目は、手のひらくらいの大きさで、天井にへばりついていた。不動産屋と来た時はなかったはずだし、不動産屋からも「目」が住んでいるなんて聞いてない。
悲鳴をあげたり、逃げ出したりはできなかった。だって、わたしと目が合ったとき「目」はバツが悪そうに目を伏せたから。わたしは見ないふりをした。気づかないふり。見えないふり。そう、人の世の理にあったものでもそうでないものでも、怪奇には近づかないほうがいい。知らないふりをするのが身を守る術だと思うでしょ?
わたしは普通に暮らした。
たまに視線を感じて見上げると「目」がわたしを見ている。でも目が合うと「目」は恥ずかしそうに目をそらす。夜は暗くすると瞼を閉じて眠っているように見える。しばらく暮らしてみて「目」は「見る」以外に何もしないみたいだとわかってきた。
「目」はわたしと同じで映画が好きみたいだ。わたしは仕事から帰ると毎晩、テレビ画面で映画を見る。「目」も食い入るようにテレビ画面を見ている。コメディ映画を観た時は笑っているように揺れていた。
泣ける映画を観ていた時だった。背後の床からポタンポタンと水滴の音がした。驚いて振り向くと床が濡れている。天井を見ると「目」が涙をポタポタ流している。赤く泣き腫らしたその瞳にわたしは思わず「ティッシュ貸そうか?」と言ってしまった。「目」はハッとして、恥ずかしそうに目を伏せた。わたしは雑巾を持ってきた。
「いいよ。好きなだけ泣きなよ。泣くために観る映画もあるんだよ。いっしょに泣こう」
わたしはティッシュを何枚も使って、「目」は床の雑巾をぐしょぐしょにして、泣きながら映画を見終わった。泣き腫らした目でお互い見つめ合った時に仲良くなれた気がした。
「目」との暮らしも悪くない。
家に帰って来た時「ただいま」を言う相手がいる。「目」は天井を移動して、玄関までわたしを見にくる。さながらペットの子犬のようだ。頭を撫でてあげられないけれど。
ところが「目」と暮らし始めてしばらく経った時、大事件が起きてしまった。
「目」が天井からはらはらと舞い落ちてきた。部屋の掃除をしようと窓を全開にした時だった。意地の悪い風が天井に吹きつけたせいだと思う。まさか「目」が取れるなんて思ってもみなかった。わたしは人生最大級に慌てて、「目」を拾い上げた。初めて「目」に触れた。「目」はみるみるうちに干からびた葉っぱのようになっていく。
助けなきゃ! 医者を呼ぶ?
わたしは「目」を抱き抱えたまま右往左往し、温めてみてはどうだろうと思い当たった。
お湯を沸かし蒸しタオルを当てると、「目」は気持ち良さそうにした。効くとわかると迷いはない。お風呂を沸かし、「目」を抱き抱えて一緒に入る。「目」はみるみるうちに潤って元の姿を取り戻していく。そっと壁に近づけると壁に入り込み、スーッと天井に登っていった。
一度天井から剥がれて落ちてから、「目」は自在に移動できるようになったみたいだ。お風呂にも移動してくるようになった。壁を伝い、恥ずかしそうに目を伏せながら、湯船に入ってくる。「目」の瞼をそっと撫でると気持ちよさそうにするのが可愛い。
「今度、一緒に温泉に行こうか」
わたしの提案に「目」は目を見開いた。
有言実行。わたしと「目」は、とある温泉旅館にきた。女性のお一人様に優しいお宿。わたしたちは、深夜にそっと大浴場に行く。
どうやって「目」と一緒に旅行しているのか知りたい?
ふふふ、浴衣を脱いであげるね。
わかった?
そう、「目」はわたしの体の上に移動しているの。お気に入りは、わたしの右胸の上。
それでは、わたしたち、温泉を堪能してくるね。
(了)