阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「日付」菅保夫
月に一度、ノロシを上げる。毎月一日に、日の出から日没まで、焚火に生木やプラスチックゴミなどをくべるのだ。いろいろと試して、今でははっきりとした暗灰色の煙を出せるようになった。風がなければ、立派な煙の柱となる。元々助けを求めるために始めたのだが、今は何だか儀式のようになっている。
この島に来て、もう四年が過ぎてしまった。私が付けている腕時計は電波時計で、常に正確な時間と日付を表示しており、間違いがない。電源は太陽光なので、電池は不要だ。無人島であるこの島で四年も暮らしているのだから、正しくは有人島と言っていいのかも知れない。生活には慣れてしまったが、いまだになぜこの島にいるのかわからないままだ。島に来る前の最後の記憶は、昨日のようにはっきりと覚えている。仕事を終え帰宅し、ビールを飲みながら夕食を食べた。そして気がついたら、この島の砂浜に寝転がっていたのである。
時計の日付を見ると丸三日が過ぎており、訳がわからなかった。すぐそばに建物があって、誰かいるだろうとたずねた。しかしそれは、大型のコンテナが並べられていただけだった。中には服や生活雑貨、それに保存がきく食材が山積みになっていた。
島は東西に伸びた、だ円形をしている。ちょうど中央あたりに山があり、その中腹から泉が湧いて小川を作っている。一番最初に山の頂上まで登ったときの衝撃は、相当なものだった。三百六十度海ばかりで、陸地といえばこの島以外になかったのだ。ただただ線を引いたように、水平線がグルリと一周しているばかりだった。私は海岸ぞいを歩き続けた。そのときは島に人が住んでおり、きっと漁をするために海のそばに居を構えていると思ったからだ。しかし誰とも会うことはなく、その痕跡すら見つけられなかった。
島に来てから一度も、船や飛行機などを見ていない。世界はどうなってしまったのか、推論はいろいろと出てくる。記憶がないということは、とてもショックなことが起きたに違いない。巨大な津波が襲ったのか、大地震か、隕石が落ちたのか。南極の氷がすべて溶けたら、海面が六十メートル上昇すると聞いたことがある。人々は死に絶えてしまったのか。少なくとも地球にいることは間違いない。西側の海岸には、外国文字のラベルが貼られた古いポリ容器などが流れ着く。今は新しい漂着物を見つけるのが、楽しみのひとつになっている。
四年も暮らしているので、島内を歩きつくした。もう島のすべてを知っているつもりだ。私は一人で喋ったり歌をうたったり、日記のようなものも書く。言葉や文字を忘れないように。今さら、全部夢でしたというオチは期待できない。このままここで一人、死んでいくと考えたほうが現実的だ。しかし何が起きたのか真相が知りたい。文明は崩壊したのか、人類は死に絶えたのか。否、私が生きているのだから、他にも生存者がいるのかも知れない。人に会いたい、たくさん話がしたい。
今日は新しい漂着物が何個も見つかり、袋につめて持って帰る。その途中、私は大発見をした。毎日前を通っている岩山に、横穴があいているのに気づいたのだ。今まで草木に隠れて、まったく見えなかった。穴の中には何とカヌーがあった。それも二艘。転覆防止のアウトリガーが付いており、古びていたが十分使えそうだ。しかしオールが見あたらない。以前、誰かがこれに乗って海をわたって来たのだろうか。カヌーを前にして、私はしばらく物思いにふけることになった。
住み処に戻り、昼食がてら漂着物のチェックにかかる。手にしたのは拳大のビンで、中には黒い油状のモノが半分ほど入っている。外からは臭いはしなかったが、さすがにフタを開ける気にはならない。ラベルはほとんどはがれて、少ししか残っていなかった。しかしそのわずか切手サイズに残った紙を見て、私は驚いて気を失いかけた。そこに印刷された文字は、私の国の文字だったのだ。またそこに記された製造年月日は、わずか五ヶ月前の日付だったのである。
何度もラベルの日付と時計を見比べるが、間違っていない。五ヶ月前にそれが作られたということは、少なくともそのときに人がいたということになる。人間は死に絶えてなどいないのだ。
私は島を出る決意をした。万全の準備をしなくてはならない。まずはオールを作ろう、頑丈なオールを。三つはあったほうが安心だ。それに荷物がたくさん積めるように、カヌーを少し改造しなくては。あせる必要ない、時間はたっぷりあるのだから。
(了)