阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ある男のドラマ」島本貴広
男は自分の将来に人一倍不安を抱いていた。三十歳を超えてもいまだに正規の職に就くことができず、アルバイトで糊口をしのいでいたからだ。大学入学を機に上京したが、就活時に不況の波に飲まれた。実家に戻ろうかとも考えたが、地方の町に都会よりも職があるとは思えなかった。
都会での生活は便利だったが何をするにしても先立つものがいる。だが、それもあまりないから普段は自宅でテレビを見て過ごすことが多かった。そのテレビのリモコンがとつぜん壊れた。電源が入らず、電池を入れ替えてみたが反応しなかった。本体の操作ボタンも壊れているから、これではテレビが見られない。実家で使っていたのをそのまま持ってきているから、二十年近くは経つ代物だった。だが買い換える余裕もない。リモコンだけでもどうにかできないかとちかくの家電量販店へと出向いた。いろいろなメーカーからさまざまな汎用リモコンが出ていたが、聞いたこともないところの一番安かったものを購入した。
買ったリモコンは無事作動した。なにかおもしろい番組はやってないかとチャンネルボタンを押して一番から順に回していく。十二番まで回したところで、目を引く番組はやってなかった。何気なく、もう一度チャンネルボタンを押した。すると再び一番のチャンネルに戻ると思ったそれは十三番になっていた。男は、はておかしいぞと思った。このテレビは十二番までしか映らないはずだ。もう一度チャンネルボタンを押すと砂嵐の十四番が映された。男はボタンを押し続けた。どこまで続くのかという興味もあった。三十二番までくると、初めてちゃんとした映像が流れた。ドラマのようであったが男は画面を見ておどろいた。そこに映っていたのは男自身だった。何をしているかと思えば、酒席で飲み食いをしていた。顔を真っ赤にして大声を出している自分の姿を見て、いたたまれない気持ちになった。誰と飲んでいるかと思えば、同席していたのは大学時代の友人たちだった。こんど、連中と飲み会をひさびさにやろうという話になっていたことを思い出した。だが、どういうことだろう。怖い気持ちもあったが、またチャンネルボタンを押す。三十三番が映され、やはりそこには男がいた。会社で仕事をしているシーンだったが、見慣れない職場だった。男はひとつの仕事を長続きさせたことがない。いまのところからまた変わるということだろうか。暗澹たる気持ちになり、指先はリモコンのチャンネルボタンを連打していた。
四十番まで進み、画面はすこし老け込んだ男を映していた。歳は四十前後だろうか。そこで男ははっとした。チャンネルの番号はそのまま男の年齢なのではないか。画面の中の男はちいさな子どもを抱えていて傍らには女がいた。この女と結婚するのだろうか。特別美人ではないが、愛嬌のある女だった。悪くないと男は思った。
リモコンを操作し、次々とチャンネルを変えていった。五十番では男が部下たちと会議をしている様子が映っていた。ずいぶんと出世したようだ。仕事が終われば一戸建ての家に帰り、妻と子どもと食事をしている。男は泣きそうになった。もう自分には届かないと思っていた。
男は時間を忘れてテレビを見続けた。六十番では定年を迎えた男を多くの人たちが祝っていた。七十番では初孫をその腕のなかで大事そうに抱えていた。どんどん歳を取っていく自分を見ているのはふしぎな気持ちだった。八十番に変える。男がベッドに横たわり、家族に看取られながら息を引き取るシーンが流れた。どうやらこれが最後らしい。男は感無量だった。八十歳まで生きられれば文句のない人生だろう。きっとこれは神様からの啓示のようなものにちがいないと考えた。
エンディングが流れ始める。それを見つめながら男はこんな一生を送れるなら、もう心配はいらないと思った。
エンドロールが終わり、画面が暗転すると最後にある表示が画面に出た。
「この番組はフィクションです。実在する個人、企業、団体等とは一切関係はありません」
(了)