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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「NO WIFE,NO LIFE」出崎哲弥

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作文・エッセイ
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第69回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「NO WIFE,NO LIFE」出崎哲弥

 月曜。仕事で不愉快な目に遭うことは別に珍しくない。ただ今日はこれでもかというほど重なった。凶暴な気分を引きずって家路についた。

「ただいま」を言う気にもなれずにリビングへ入った。ソファの妻はテレビに向かってリモコンをいじっていた。画面に目をやったまま棒読みのように「おかえりなさい」と一言。思わず嫌味の一つも言ってやらないと気がすまなくなった。

「あーいいご身分だな。一日でもいいから交代してほしいよ」

「……」

 反応はない。普段の妻なら何か言い返してもおかしくない。操作を終えたリモコンを妻はテーブルに置いた。もの憂げに腰を上げた。こちらへ向いた。表情からすぐに理解できた。妻自身も次々不愉快な出来事に見舞われた一日だったのだと。

 そういえばマンションの主婦間でトラブルが起きているような話をしていた。無関係の妻も巻き込まれそうなのだと。二、三日前のことだった。くだらないと聞き流した記憶がある。おそらくそれだろう。他に思い当たらない。かえって腹が立ってきた。

(おたがいさまとでも言いたいのか。冗談じゃない。こっちは仕事なんだ)

 知らん顔で食事を済ませた。言葉は一切交わさなかった。

 火曜。帰ると妻の姿が見えない。メールも書置きもない。実家だろうか。当てつけのつもりなのかもしれない。放っておくことにした。

 そのまま深夜になった。こんなことは結婚十二年で初めてだった。さすがに心配になる。妻の携帯に電話を入れてみた。「ただいま電話に……」のアナウンスが返る。実家ではないような気が急にしてきた。

(男?)

 妻に限ってありえないと一度は自分で打ち消した。すぐ自信が揺らぐ。そもそも妻とはただの同居人に等しくなっている。今朝どんな格好をしていたかさえ思い出せない。妻の心に別の男が入り込んでいたとしても気づくはずがない。

 水曜。妻は戻らない。大ごとにだけはしたくなかった。食さえやりくりすれば当面しのげる。帰りに買ったコンビニ弁当を食べながらビールを飲む。あとはいつもどおりテレビを観て寝るしかない。

〈録画予約実行中〉

 テレビ画面にメッセージが表示された。ほどなくレコーダーの赤い録画ランプが点いた。

 録画予約などした覚えはない。仕方自体知らない。するとしたら妻しかいない。そういえばリモコンを操作していた。あの時予約していたのだろうか。それとも出て行く前に? 後者だと思いたい。それなら帰ってくるつもりということになる。

 リモコンで入力をレコーダーに切り替えてみた。録画中の番組が表示される。幼い姉弟がリュックを背負ってとことこ歩いている。「人生初のおつかい」に密着するバラエティ番組だった。ちょくちょく放映されているのは知っている。一度も観たことはない。

(へえ、こんなものを……)

 いつもは自分で選んだ番組しか観ていない。かなり前に一度チャンネル争いになったことがあった。「家にいるときくらい好きなものを観させろ」と従わせた。どうやらそれ以来この方法で裏番組を録画していたらしい――。

 ――おつかいから戻ってきた子どもたちを母親が玄関先で抱きしめる。

 わが家に子どもはいない。子ども好きの妻は不妊治療を望んだ。どうしても抵抗があって拒否した。マンションにはママ友のコミュニティがある。妻は当然そこに加われない。肩身の狭い思いをしていたのは想像つく。よその母子など見たくあるまいと勝手に思っていた。

 木曜。また録画ランプが点いた。今度は田舎暮らしを取り上げる番組だった。都会から移住した夫婦が出てきた。二人で畑仕事をしている。近所の住民たちと温かい人間関係を築いている様子が伝わってくる。わが家は夫婦ともに都会育ち。田舎とは縁がない。妻はこんな生活に憧れがあるのだろうか。田舎は閉鎖的だと聞いたことがある。そううまくいくものではない。わざとフンと鼻を鳴らした。

 金曜。録画ランプの点灯を待つ自分がいた。もはやこれだけが妻とのつながりに思える。……点った。ホッとする。

 画面を切り替えた先はドッキリ番組。バカバカしい仕掛けに芸人が引っかかる。そこへ「ドッキリ大成功」のプラカードを持ったタレントが現れる。芸人は大げさにずっこけた。ファンファーレのように音楽が流れる。

(もしかして)

 振り向いた。リビングの入口には何の気配もない。

(了)