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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「九月二十二日」石川明世

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第69回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「九月二十二日」石川明世

 九月二十二日。今年も亡き父の誕生日を迎えた。もし父が生きていたら八十四歳。どんなふうに誕生日を祝っただろうか。私は父の部屋を掃除しながら思った。亡くなって八年にもなるのに、部屋はそのままになっている。

 父のベッドの横のサイドテーブルには、テレビのリモコンが置いてある。居間で皆でテレビを観ていると、いつの間にか父の好きな番組、野球や相撲になっていた。母はその賑やかさが鼻について、文句を言っていた。

 母だって観たい番組がある。母は父に小型の安いテレビを買って、自分の部屋で観る事ができるようにした。このテレビのリモコンを父は思うように動かして、誰にも文句を言われない時間を過ごしていた事であろう。

 父は本当にテレビが好きだった。そんな父に私は「テレビ君」とあだ名をつけた。最初は母と父の事を話す時に、父をテレビ君と言っていた。ある日父をご飯に呼びに行った時、ついうっかりテレビ君と呼んでしまった。

 怒られるかと思いきや、父はニコニコしていた。耳が悪いから、聞こえなかったのかもしれない。テレビばかり観て、認知症にならなければいいのだがと心配していた。本当は何か趣味を持てばいいのにと思っていた。

 田舎暮らしへの強い憧れからか、母は東京から花巻への引っ越しを強引に押し進めたふしがあった。妹がゆくゆく旦那の出身の花巻に住む事になるから、母をそこへ来させたがった。父は母の言いなりになったようだ。

 父は、定年退職後三年間勤めていた会社を辞めた。現役時代は国家公務員として農林水産省に勤め、調査船に四十余年乗ってきた。その職場のOBからの誘いで、再就職した。せっかくの仕事なので勿体ないようである。

 父は将棋が趣味だとは言っても、テレビで将棋番組を観るだけだった。花巻でも父ができそうな仕事を探しても、それらしいものはなかった。花巻は電車やバスの本数も少なく、駅から我が家は遠い。父は出かけない。

 父は仕事をしているべきだった。趣味がない父は、ほぼ一日家にいる。何だか実際の年齢よりも老けた感じに見えた。父はつまらないので、母の家事に度々手をだしてきては、母に怒られて、不機嫌そうにしていた。

 だから父は庭の草むしりをして、しゃらっとしている。自分のいやがる草むしりをやって貰えて、母は喜んでいた。父は少しでも雑草が伸びると、こまめに引き抜いていた。ずぼらな私は、そんな老父に感心していた。

 父は本質的には家族の役に立ち、認められたいようであった。ただ家族の気持ちを考えずに、押し付けがましい所があったので、それには閉口した。年に四回浄化槽の掃除の際、作業する業者の傍に行きはりついてしまう。

 業者さんはうっとおしいが、お客を相手にうるさいともいえないだろうに。父も話し相手が欲しかったのだろうか。父はお節介な面もあった。私の冬にはく靴が汚れていたから洗っておいたとの事。誠にご苦労様である。

 我が家は町内会では、班長や体育係になった事があり、父が全部引き受けてくれた。日曜日の朝の掃除、広報配り、会議への出席を真面目にこなし、父の死後町内会の婦人から感謝された。私はなるべく回避しているが。

 体育係だった時、父はジャージとトレパン姿で運動会に臨んだ。母も私も父に、もう年だから、間違っても競技に出るなと言った。父は勝者に景品を与えるだけだったらしいが。この日の為に体育着を新調し、高くつく。

 父も元気なようで、やはり老化には敵わなかった。ある時オムツを買ってくれと頼まれる。どうも尿もれしていたようだった。男性は年を取ると、前立腺肥大に悩まされる事があるようだ。女性の私には理解できないが。

 他にも父は肉体的な老化現象で悩んでいたようだが、私にはあまり言わなかった。体が固くなり、教会の礼拝に行こうと、父に車に乗ってもらうと、硬い体を車に押し込むのに相当難儀していた。何かの病気なのかしら。

 とは思えど、父を薬漬けにはしたくなかった。ただでさえ、内臓の機能が加齢故に弱ってくるから。視力も弱りを見せていたようで、眼鏡を作り直す。元々父は近眼で若い頃から眼鏡をかけていたが。白内障だったか。

 車を運転するわけではないから、手術迄は必要としなかったようだが。毎朝読んでいる新聞が見辛くなったらしい。それ迄何ら問題なく楽しめていた事に支障をきたしていた父は、果たしてどんな思いだったであろうか。

 手足の力も弱りを見せていたようだった。夜中に起きてトイレへはすり足で行った。片足で立っている力が衰えてきたのだろう。すり足は転び易いという。幸いにも転倒して怪我をする事はなかったが。はらはらものだ。

 父はいつの頃から、風呂に入る以外は作業着を着たままでいるようになった。腕に力が入らないのか、衣服の着脱に時間を要するようになっていた。洋服の袖に腕を通すのに苦労して、私の助けを求める事さえあった。

 次々と訪れる肉体の老化現象に戸惑ったであろう父にとっては、リモコン一つで操作できるテレビはせめてもの慰めだったに違いない。そう思うと、涙が出てきそうになる。向こうにいる父の誕生日を地上で祝いながら。

(了)