公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

文学賞の時代考証について

タグ
作文・エッセイ
作家デビュー

新田次郎文学賞

今回は特別に、一般公募の新人賞ではないが、第二十七回の新田次郎文学賞受賞作の『賴山陽』(見延典子)について論じる。

過去には池宮彰一郞、酒見賢一、佐々木譲、中村彰彦、真保裕一、諸田玲子、植松三十里、原田マハといった錚々たるプロ作家が受賞しているが、『賴山陽』は、ひどかった。

もちろん、頼山陽に関しては非常に良く調べているのだが、それ以外の時代考証が、惨憺たるものがある。

この作品には「脱藩」が何百箇所と出てくるが、「脱藩」は明治二年にできた言葉で、頼山陽の時代にあるわけがない。

北海道を拠点とした榎本武揚が蝦夷共和国独立のために書いた『Les Kerais exiles de Toukugawa』を和訳した『徳川脱藩家臣団』あたりが初出。

そもそも「藩」は「天皇に仕える諸侯の領地」の意味で、最初に新井白石が元禄十五年(一七〇二)に徳川綱豊(後の第六代将軍の家宣)の命令で『藩翰譜』を著したのが最初。

しかし、幕末になって尊皇倒幕派(薩長土肥などの家臣)が言い出したもので、幕府方の人間は、最後まで使わなかった。

その討幕派の筆頭の長州でさえ、公式文書では「藩」を使わなかった。

毛利家の公式記録は『萩藩閥閲録』であるが、この名称になったのは実に昭和二十二年で、それまでは『閥閲録』で「藩」が付いていない。

また、頼山陽は大分県の景勝・耶馬溪の命名者として有名だが、その旅の途中で「下関」に立ち寄っている。

だが「下関」は明治三十五年以降の名称で、それまでは「赤間関」である。

山口県には「上関」「中関」「下関」と平安時代から海上の関所が三箇所あった(いずれも山口県内)が、『太平記』の時代には、もう「下関」は赤間関の呼称に変わっている。

また、この作品では出てくる女が全て「三つ指を突く」挨拶をする。三つ指を突くのは、そもそも吉原の遊女が始めた作法で、極めて不作法な挨拶とされる。

両手を「ハ」の字状にして掌をしっかり床に着け、額を床すれすれまで下げるのが最も礼儀正しい作法なのだが、三つ指を突くのが最も礼儀正しいと思い込んでいるとしか思えない。

他にも女性が三つ指を突く場面がある時代劇は、たまに目にするが、時代考証に厳しい選考委員もいるので、時代劇で新人賞を狙うアマチュアは、よくよく気をつけなければならない。

時代考証は出版社の基準が違う

この作品には「雰囲気」が頻出するが、これは明治四十二年の北原白秋の造語なのだ。

「雰囲気」は文政十年(一八二七)に蘭学者の青地林宗が書いた日本最初の物理学書『気海観瀾』に出した造語だが、これは「地球を取り巻く大気」の意味。今の我々が考えている意味とは、まるで違う。

あと、頼山陽の母親で歌人の梅颸が「頼梅颸です」と自己紹介する場面があるのだが、結婚して同じ苗字になるのは、明治三十一年に成立した民法で「夫婦は同姓とすべし」とされてから。

ここは実家の姓の「飯岡梅颸です」でなければならない(『ウィキペディア』が間違っている)。

源頼朝の奥方は「北条政子」であって、「源政子」ではない。室町幕府八代将軍の足利義政の奥方は、「日野富子」であって「足利富子」ではない。

日本史上、最も有名な女性の一人に「細川ガラシャ」がいて、映画『魔界転生』で佳那晃子が演じた(主演は千葉真一や沢田研二)が、これも「明智ガラシャ」でなければならない。

角川春樹小説賞の第1回特別賞受賞作の『義元謀殺』(鈴木英治)には卓袱台が出て来る。その他にも、卓袱台が出てくる時代劇は多いのだが、卓袱台は明治時代の半ばに出てきたものである。

卓袱台は、そもそも長崎で始まった、円卓を囲んで食べる宴会中華料理の卓袱料理に由来するものだがこの円卓は「卓袱台」ではなく「卓子台」と書いた(安永八年(一七七九)の朱楽菅江の造語)。

第148回の直木賞受賞作『等伯』(安部龍太郎)には「月命日」という言葉が出てきて、呆れた。

安部龍太郎はオール讀物新人賞の選考委員で、てっきり時代考証には詳しいと思っていたので驚いた。

織田信長は天正十年(1852)6月2日に本能寺で明智光秀に討たれて死んだが、この6月2日が「祥月命日」である。

で、6月以外の月の2日が「命日」である。

ところが、「命日」とは祥月命日のことだと誤解する人が多くなって、そこで「月命日」という言葉が生まれたので、おそらくは太平洋戦争以降の造語。

時代考証が全くなっていない版元もあれば、えらく厳しい版元もあるので、アマチュアは、当然のことながら、最も厳しい版元の基準に合わせて書かなければならない。

プロフィール

若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。

 

若桜木先生の講座