阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「やおよろずの帽子」草薙至
これまでの人生を、真っ直ぐに歩んできたかと聞かれたら、はっきり首を縦に振ることはできないかも知れない。
老舗帽子屋の跡取り息子として生まれた俺は、工房で毎日コツコツと帽子を作る父を見て、同級生のそれと比べ、つまらない父親だと思い、少し荒れた時期があった。
来る日も来る日も地道に作業を続ける姿を見てきた。
反抗期にも怒鳴られたり、手を上げられたりした記憶はなく、金髪に染めて帰宅した時には、なかなか似合ってるじゃないか、金髪に合う帽子のアイデアでも考えてくれよ、と言った。
高校卒業を控えたある日、父が珍しく気分良さそうに酒を飲んでいて、自分でもなんの気まぐれか、隣に座り話しかけた。
「親父はなんで店を継いだの」
「つまらなさそうに見えるか?」
グラスを傾けながら父にそう聞かれて、子どもの頃の感情を言い当てられ、思わず言葉を詰まらせた。
父を尊敬していない訳ではない。母や俺を慈しみ、数名の雇い職人にも家族の様に接し、老舗の看板を一人で背負って大事にしてきた。
「世の中には、自分にしかできない仕事ってものがある。お前にもきっとわかる日がくる」
そう言って残りの酒を飲み干した。
あの時、父が言った事を理解したくて、実家から通える大学に行きながら、家業を手伝い始めた。
しばらくたった頃、オーダーメイドのデザイン帳を見せられ、大御所俳優や大企業の社長の名前が並んでいて驚いたのをよく覚えている。
本当に自分にしかできない仕事があるのか、父や先代たちが続けてきた家業を俺が引き継ぐことなどできるのかと、葛藤する日々は姿を見せることなく吹き荒れる風のようだった。
大学を出てからは迷いを振り切るように帽子作りに没頭した。昔見た父を真似るようにコツコツと仕事に向き合い毎日が過ぎていく。
ようやく精神的に余裕を持って仕事ができるようになった頃、父に家業を継ぎたいと言った。甘くないぞと厳しい事を言いながらも、嬉しそうに神棚へ酒を供え、母は赤飯を炊いた。
家業を受け継ぐ決意をしてから、本格的に父に師事し、長年の顧客向けの仕事も少しずつだが、させてもらうようになった。
祖父の時代からの客に、初めて俺に任せたいと仕事をもらった年から、贔屓先への納品も徐々に同行する事になった。
母に似ていると言う人もいれば、父の若い頃にそっくりだと微笑む人もいて、何度も紹介されていくうちに、後継の為の足元が固まっていくような不思議な感覚があった。
雇いの職人たちにも、顔つきが変わってきたなどと言われるようになり、父だけが担当していた作業を分担し始めた。
耳を出す場所なのか穴が二つ開いたものや、手のひらに乗る程のサイズもあり、ペット用や、最近流行っているカプセルトイ用と思われるデザインで、父の頭の柔らかさを知った。
それらの出来上がりをトラックに積み込み、運んだ先はこれまで人生の折に、幾度となく訪れている隣町の神社だ。
巫女に先導されるまま祭壇のある部屋に荷を運び、正装の神主が現れたが、父に何かを聞ける雰囲気ではない事だけは理解できた。
俺の挙動を察したらしい父が、小声で黙って見ていろと言うと、神主が大幣を振り神事が始まった。
次第に周りの空気が凛としたものに変わっていき、心拍数が上がっていく。祝詞が力強さを増すと、少し透けているナニカがわらわらと目の前を通り過ぎていくのが見えてきた。
恭しく頭を下げる父に気付き慌てて格好を合わせ、ちらりと視線を投げる。
「自分にしかできない仕事って……」
「付喪神様が使う帽子作りさ」
一学年上だった初恋の相手に自分から告白した時などとは、比べ物にならないほど心臓が騒いでいるのがわかる。
「まだつまらなさそうに見えるか?」
「腰が抜けそうなのを必死で堪えてる……」
ただの帽子職人だと思っていた父の片方だけ上がる口角がいたずらっぽく見えて、一生忘れない親の表情だろうと確信した。
季節はちょうど神在月に入った頃。
年に一度、八百万の神々が集まるこの地で俺は、やおよろずの帽子屋を継いだ。
(了)