阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「笑顔のむこう」ヨシカワG
とある休日の街の路上。大道芸人が軽妙な口上を述べ、かぶっていた帽子を滑らかな所作で地面に置いた。遠巻きに見ていた観客達は、パラパラと拍手を送りつつ、ほとんどはそのまま街に消えていったが、中にはその帽子に投げ銭をしていく者もいた。
路上に一人残された彼は、観客が居なくなった事を確認すると、帽子の中身を覗いてみた。実のところ、平日はしがない勤め人の身分の彼にとっては大道芸などただの休日の趣味にすぎない。つまり実入りなどどうでもいいのだが、やはり気にならない事はない。
お、珍しく紙幣があるぞと思って手にとってみたそれは、二つ折りにされた紙片だった。そこには子供の字でこう書かれていた。
「すごかったです。あの、ういているカバンはどこにうっているのですか?」
どうやらトランクを使ったパントマイムの事を言っているらしい。紙幣ではなかったが、こういう手紙にこそ胸が温められるものだ。一方で、そのぎこちない文字には奇妙な既視感も覚えたのだった。
翌週、同じように芸を終え、帽子の中を確認するとまた手紙が入っていた。
「どうやったら、お兄さんのようになれますか?」
しかし変だ、先週のこともあったので、今日は観客をよく見ていたのだが、子供など見当たらなかった。
彼は一つの可能性を感じながら手紙を睨んでいたが、やがてそれは確信に変わった。これは子供の頃の彼の字だ。
彼は子供の頃に、ある大道芸人に憧れて同じような手紙を同じように帽子に入れて渡していた。これは間違いなく彼があの頃に書いた手紙だった。
彼はその手紙の裏に返事を書いてみた。
「たくさんれんしゅうしてください。まいにち少しずつでもつづけるのがだいじです」
次の週末、帽子の中にその紙片を忍ばせてみた。観客が去って帽子の中を見ると、やはり返事が入っていた。
「いつかお兄さんのように大どうげい人として生きていきたいので、がんばります。」
彼は後ろめたいものを感じた。もう何年も大道芸を続けてきたが、いつのまにかそれを生業とする事は考えなくなっていた。
帰宅した彼は、壁に飾ってある写真を見つめた。中学生の頃の彼と、彼が憧れた大道芸人が一緒に写っている写真だ。二人とも底抜けに明るい笑顔でこちらを見ている。その頃彼は、その大道芸人を師匠として慕っていた。この写真はその師匠が、上京するという事で最後の記念に撮ってもらった写真だ。
師匠の訃報を聞いたのはその三年後だった。なぜ亡くなったのかは知らない。あの笑顔と、死との間の有り得ない落差を受け入れられず、彼はただ練習に没頭した。
それでも結局彼は普通に就職し、ただの趣味として大道芸を続けることを選んだ。今のこの生活に不満などない。不安もなく、ただ好きな事を気ままに続けている。
ただ…。彼はもう一度その写真を見た。自分は今これほどの笑顔ができるのだろうか。
少なくとも、子供の自分にはいつまでも夢を追い続けてほしい。少し迷ったものの、彼はその手紙の裏にこう綴った。
「大どうげい人として生きていくのは大変ですが、あきらめなければだいじょうぶです。君ならりっぱな大どうげい人になれます」
……と、ここで目が覚めた。彼は部屋のベッドの上にいた。妙な夢を見ていた。
高校卒業後すぐに上京し、師匠が果たせなかった夢を叶えようと専業の大道芸人として活動してきた彼だったが、無意識の内の後悔があんな夢を見せたのだろうか。
芸で食べていく生活にはこの上ない充実感を感じているつもりだが、やはり収入は安定せず、将来には不安しかない。
彼は壁の写真を眺めた。死んだ師匠は、はち切れんばかりの笑顔でこちらを見ている。暗澹たる不安に押し潰されないための渾身の笑顔だ。今ならその気持ちがよくわかる。
机の上には、一枚の手紙が置かれていた。
「いつかお兄さんのように大どうげい人として生きていきたいので、がんばります」
やはり昨日、帽子の中に入っていたものだ。
確かに、安定した生活の傍ら週末芸人として楽しむ程度の人生も良いのかもしれない。
他の誰でもない子供の頃の自分宛だからこそ、言ってもいいことがあるはずだ。彼はペンを取り、その手紙の裏にこう綴った。
「大どうげい人として生きていくのは大変です。しゅみとしてつづけていくくらいでも、いいかもしれません」
……と、ここで目が覚めた。
彼はもう週末芸人ですらなかった。過去の自分から手紙が届くことも、もうないだろう。
(了)