阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「悩めるマジシャン」坂倉剛
サミー杉山は悩んでいた。
「うーん……」
商売道具のシルクハットを手にして、じっと考えこむ。
杉山はもう十九年もマジシャンとしてステージに立ちつづけていた。来年は二十周年を迎えるが、祝ってくれそうなファンは一人もいなかった。
「杉山さんのマジックは古いんですよ」
とマジック愛好家の青年に言われたことがある。
「実力があるのは認めます。マジックの腕は本当に大したもんですよ。でも、マジックは大衆向けのエンターテインメントですからね。いつまでも同じようなことをやってちゃそりゃ飽きられますよ」
自身も大学のマジック同好会でオリジナルの手品を発案しているという青年は、口調はていねいながらも辛らつな意見を浴びせた。
「衣装もほとんど骨董品じゃないですか。黒いタキシードにシルクハット。はっきり言ってダサいですよ」
杉山もコスチュームは変えた方がいいだろうかと思ったことが何度もあった。
テレビに出演しているマジシャンはごくふつうの服装をしている。若手は特にそうだ。シルクハットなどかぶったりしない。
とはいえ、杉山がオールドファッションにこだわるのには理由があった。
マジックの定番に「なにもないところから物を出す」という技がある。空っぽの箱からトランプの束が飛び出したり、ハンカチからリンゴが出てきたり――。
シルクハットからハトやウサギが出現するマジックはサミー杉山の十八番だった。
言うまでもないがマジックにはタネもしかけもあるわけで、演者の事情というものがあった。
マジシャンのお決まりの衣装に、時代がかった中国人の服がある。袖が長く広くゆったりしているので、タネを隠しやすいのだ。
タキシードの場合、ステッキという小道具を使ってさまざまな手品をくり出せるし、なによりシルクハットにいろいろ隠しておける。慣れ親しんだスタイルをおいそれと変えるわけにはいかなかった。
江藤ジュリから連絡があったのはそんなときだった。杉山とほぼ同じキャリアの女性マジシャンである。
「今度ニューヨークへ行くことになったのよ」
口を開くなりジュリはうれしそうに言った。
「旅行か?」
「仕事でよ。そこそこ大きい劇場でマジックショーをやることになって」
「本当に? それはおめでとう」
杉山は仲間の出世を心から喜ぶと同時に、焦りも感じた。
「ジュリはよくバニーガールの格好でステージに出てたよな。今でもそうなのか?」
「まさか。いつまでもそんな格好してらんないわよ。最近は着物を着てるわ」
「へえ、着物でマジックねえ」
「ニューヨーク行きが決まったのも和服姿がポイントだったのよ。興業主がエキゾチックなパフォーマーを探してたみたいでね。着物はいいわよ。袖が大きいからタネを隠しやすいし、肌の露出は低いけどそこが逆に海外の人には上品な色気を感じさせるみたい」
「なるほどな」
杉山はステージ衣装のことで悩んでいるのだと口にした。
「思いきって変えてみなさいよ」
「でもなあ。俺はシルクハットと使って長年やってきたから、帽子がないと都合が悪いんだよ」
「シルクハットかあ。あたしも昔はよくかぶってたわ。シルクハットからウサギを出して『本物のウサちゃんです』とか、やってたなあ」
「なにかを変えなくちゃ、とは思ってるんだ。けど、俺はあくまでマジシャンだからな。二十年も磨きをかけてきたマジックをすててまで新しいことに手を染めようとは思わない」
「それは分かるけど……」
ジュリはしばらく考えこんでいたが、不意にポンと手を打った。
一カ月後――。
ニューヨークの劇場に、二人の日本人マジシャンの姿があった。
江藤ジュリは色あざやかな留袖を端然と着こなして、華麗なマジックショーを繰り広げた。日本舞踊と思わせる優雅な美技でニューヨーカーを魅了する。
そのとなりで男雛のような和服に身をつつんだサミー杉山は、頭にかぶった烏帽子を手に取ると、声を張り上げた。
「ジャパニーズ・ミラクル・ハット!」
黒い烏帽子の中から花札が飛び出し、つづいてキジが宙に舞い、三毛猫が顔をのぞかせた。
(了)