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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「橋の向こうの君に」トラキャット

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作文・エッセイ
結果発表
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第63回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「橋の向こうの君に」トラキャット

うちの近所にある古びた鉄橋には、幽霊が出るという噂がある。夕方、小学生くらいの子どもが橋を渡ろうとすると、反対側から手を振る人影が現れる。手を振り返すと、その子は橋から落とされて溺れ死んでしまうらしい。その幽霊はずっと昔にこの川で溺れて亡くなった子どもで、一人でいるのは寂しいから、自分と同じくらいの子どもを見ると無理やり仲間にしようとするんだそうだ。

クラスで雑談していると、「実際に人影を見た」という子や「橋の下から子どもの笑い声が聞こえた」という、本当かどうか怪しい体験談を時々、耳にする。そういうとき、私はいつもこう言ってる。

「ただの勘違いでしょ。幽霊なんていないよ」

すると、怪談話で盛り上がるクラスの女子たちは、場が白けたとばかりに私をにらむ。

「あんたって、ほんとノリ悪いよね」

「そんなんだから木村君に振られるんだよ」

本当のことを言って何が悪い。あの噂はウソだ。だって私は手を振り返したのに、仲間にしてくれなかったんだから。

人影を見たのは、半年くらい前だった。塾からの帰り道、西の空の底にオレンジ色の光が沈んでいた頃、例の橋を渡ろうとしたときだ。普段は車や人がちらほら通るのに、そのときは私以外だれの姿もなかった。しかし、橋の上を歩き始めたとき、橋の対岸に黒い人影があるのに気付いた。その人影は橋を渡るでも引き返すでもなく、その場に留まっていた。怪しい人だと不審に思いながら歩いていると、だんだん近づくごとに、その影が大人にしては小さいことがわかってきた。でも、暗くて顔や姿はよくわからなかった。どんな表情なのかも、男なのか女なのかさえも。

その影が手を上げたのは、橋の中ほどを過ぎたあたりだった。人影は、まるで友達に呼びかけるみたいに、大きく手を振ってきた。

その瞬間、体に冷たい緊張が走って、石のように固まった。私はゴクリと息を呑むと、おそるおそる手を上げ、小さく振り返した。

橋にまつわる怪談はもちろん知っていた。そのとき、私はとてもムシャクシャしていた。その数日前、親友だと思ってた子が陰で私の悪口を言っているのを見てしまった。そのまた先月では、好きだった男子に告白して振られたことが、あっという間にクラスに知れ渡ってしまって、嫌というほどからかわれた。

何もかもを捨てたかった。成績が落ちるとキレて怒鳴りつけてくるお父さんも、お姉ちゃんと弟には優しいのに私には妙に厳しいお母さんも、とにかくいろんなものから逃げたかった。死んだって、よかった。

手を振り返しながら、人影が次にどう動くのか緊張しながら見守った。すると、人影は振っていた手を下ろし、次の瞬間、その姿は夕闇に溶けて消えた。そこからしばらく待ったけど、何も起きる様子はなかった。人影のあった場所まで行ってみても、何もない。西の空から光は消え、辺りは真っ暗だった。

結局、私は溺れ死ななかった。少しホッとしたものの、裏切られたような気持ちもある。思い切って手を振ったのに、とんだ肩透かしだ。あれからあの人影は何だったんだろうと何度も考えて、子どものイタズラだったんだろうと結論付けた。本物だったら私を溺れ死なせるはずだ。仲間に入れてくれるはずだ。

そして私は今もムシャクシャしている。学校は楽しくないし、塾の成績は振るわない。「お父さんにまた叱られる」と憂鬱になりながら歩く塾の帰り。例の橋に差しかかり、思わずつぶやいた。

「どうして仲間にしてくれなかったの?」

幽霊なんていないとわかっていても、言わずにいられなかった。

「当たり前じゃん」

すぐ後ろから、声が聞こえた。

「ぼくを利用しようとする子なんて、友達にしたくないよ」

それは子どもの声だった。すぐに振り返った。でも、そこには誰もいない。

聞こえた声が何度も頭の中で繰り返される。私を非難するような、不機嫌な子どもの声が。そして私は唐突に理解した。

私は確かに手を振った。でも、「あの子」に手を振ったわけじゃない。ただ逃げたかっただけだ。自分を利用しようと近づく子なんか、幽霊だって一緒にいたくないに決まっている。ここでも振られてしまうんだな、と思うと、ちょっと笑えた。

それから私は、できるだけ自暴自棄にならずに、ちゃんと生きていこうと決めた。十代、二十代、苦しいこともあったけど、楽しいこともあった。あのとき、死ななくてよかったかなと思う程度には満足している。

たまに地元に帰ったときは、例の橋を必ず渡るようにしている。そして少しだけ手を振る。もうあの頃のような子どもではないから出会うことはない。でも、あの子に少しでも届くように。

(了)