阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ロッカーの鈍い光」石黒みなみ
田口仁志は一人で退学届を持ってきた。辞めます、と言ったのは年末だったが、今はもう春休みだ。あれからずっと休んでいるので何度も母親に電話を入れた。一度だけ電話に出た母親は「私はもうサインしましたよ。持って行けとは言ってるんですがねえ」と人ごとのような口ぶりだった。父親の欄に名前はあるが、会ったことはない。
入学式の日、こいつは続かないなと思った。「底辺」と呼ばれる高校で三十年近く教師をやっていればわかる。集合写真で、まっすぐ前を向いていない奴はまずだめだ。毎年各クラスに数人いる。数学担当だが柔道部の顧問でもある私は、たいていよりすぐりのクラスを持つことになる。そっぽを向いている他の連中に比べれば、田口は小物だった。ただ、そういう奴は必ず金魚のフンになる。
初めての掃除当番の時、案の定田口は当番でないワル連中と一緒に帰ってしまった。翌日こってり説教をしてから、一週間一人で徹底的に掃除をさせた。最後に「学校で掃除してもタダ働きじゃないスか、バイトなら金もらえるっしょ」とほざいた。それなら今すぐ辞めて働け、と言うと黙っていた。それからはとりあえずほうきか雑巾を持って、下手な掃除をするようになった。
校内での喫煙、暴力事件、窃盗、ほとんどすべての事件に田口は関わった。といっても見張り役にこき使われているだけだ。それでも何日か停学になる。
初めて家庭訪問に行った時は少し驚いた。荒れた家には慣れているつもりだったが、上がるときに靴を脱ぐのをためらうほどだったのは初めてだ。コンビニの弁当がらが床に散乱し、痩せた猫が何匹もうろついていた。
田口を使っていた連中は、警察沙汰になったり、長い停学にうんざりしたりで次々と退学していき、二学期の半ばまでにはすっかりいなくなった。金魚がいなくなればフンに居場所はない。しかし田口は休みながらも学校に来た。珍しく読み違えたかな、と思った矢先に事件は起きた。
チャイムが鳴っても廊下の鏡で髪を直していた田口は、「何やってる」と声をかけた若い教師に「うるせえ」と怒鳴り胸倉を掴んだのである。その日のうちに「学校辞めます」と言った。書類は停学中に渡した。これからどうするかは聞いていない。残った生徒の面倒を見るのが私の仕事だ。
署名と捺印を確かめ、置きっぱなしの私物を処分するか持ち帰るかするように言うと、「下足ロッカー、金払ってるから俺のっしょ?」と聞いた。持って帰りたいという。確かにスチール製の小型のものを入学時に購入しているが、実際には一クラス分ずつネジで連結してあるので、一つだけはずすのは難しい。卒業する時に解体するが、学校で一括して廃棄処分にする。退学するときに持って帰るという奴は初めてだ。自転車に括り付けて持って帰るという。売れるのかと聞くと、家で使うという。出席番号が一や四十ならまだ端なのではずしやすいが、田口は二十番で真ん中だ。ただ、普段なら他の生徒の上靴が入っているが、ちょうど終業式が終わった後、全員中を空にし施錠をはずさせている。面倒だし時間もかかるが、男二人ならやれないことはない。説明すると「やる」と言った。
軍手とドライバーを貸した。ロッカーのドアを開け、先にドライバーの柄で軽くネジを叩くと緩んではずしやすい。説明したが田口の要領は悪かった。結局田口にロッカーを支えさせて私がネジを緩めた。はずれたロッカーは下足室の隅に順に積ませ、ついでに床を掃かせた。三月とはいえまだ寒い下足室である。弱音を吐くかと思ったが、田口は黙々とロッカーをはずしては運んだ。二十番の所まで来ると嬉しそうに自分のロッカーを抱えた。中には使った形跡のない教科書が上靴と一緒に突っ込まれていた。田口は中身をゴミ袋に無雑作に放り込み、ロッカーを大事そうに横にのけた。他の生徒のロッカーを再び積んでネジを留める。組み直したロッカーの一番端は、田口が抜けて一つ角が欠けた形になった。
田口の自転車に荷台はなかった。仕方なくサドルにきっちりロープで括ってやったが、やや不安定だ。田口はハンドルに左手を、ロッカーに右手をかけた。あの家まで押して帰るのは忍耐がいるはずだ。「気をつけていけよ」と言うと、初めて気がついたように「ありがとうございました」と頭を下げた。うなずくと田口は私に背を向け、校門に向かって自転車を押し始めた。今日で終わる制服の背中に、何か声をかけたい気持ちにかられた。ようやく「おい」と呼びかけると、田口は振り向いた。
「嫌になって途中でその辺に放るなよ」
出てきた言葉に我ながらうんざりしたが、田口は少しばつの悪そうな笑顔でうなずき、また自転車を押し始めた。ロッカーは遠ざかりながら、鈍く光っている。
(了)