阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「名前廃止法」ササキカズト
宅配便屋を装うとは姑息な。覗き穴から見えた帽子にだまされた。私はうかつにも玄関のドアを開けてしまった。
「やっと開けてくれましたね、国民番号管理局の者です。お宅でまだ《名前》を使っているんじゃないかという情報、確認させていただきたいんですよ、旦那さん」
黒服にサングラスの二人組の男は、名前取締捜査官、通称《ナトリ》だ。身分証を見せるより早く、ドアに足を入れて来た。
「その足をどけてくれたまえ。ドアが閉まらないではないか」
「旦那さん、我々もね、こんなことしたくないんですよ。けど仕事なもんでね、情報があれば確認しないわけにはいかないんですよ」
「だから名前など使っておらんと、何度も言っているだろう」
「こちらも何度も言ってますがね、ダメなんですよ、インターフォンごしでは。今おっしゃったことを、このベルトを手首に巻いて、言ってもらうだけでいいんですよ。一分かかりませんから。ね、後ろの奥さんも」
こいつが持っているのはウソ発見器だ。手首の脈でわかるやつ。ウソをつくとブザーが鳴って、国民番号と共に記録される。
「もう何度も来させてもらってますからねえ、団地のご近所さんも不審がるんじゃないですか。定年迎えた品のいいご夫婦が、一体どうしたんだろうって。ちゃちゃっと潔白を証明して終わらせましょうよ、旦那さぁん」
カンに障る言い方をする男だな、こいつは。
ああ、それにしても、なんでこんな世の中になっちまったんだ。
名前廃止法が成立し、名前が使えなくなってもう十年になる。すでに戸籍にあった名前は廃止、新たに生まれた子には名前を付けない、国民番号で個人を管理するというものだ。
差別意識への過剰な反応が、やはり発端なのだろう。《〇太》なら男、《〇子》は女というように、名前に男女の役割を背負わせるのは差別だと、誰かが言い出して広まった。LGBTなどの問題にも関わるなら、中性的な名前にすればいい。名前廃止はやりすぎだ。
学校や会社で名前を呼ぶのが、個人情報流出に繋がるからと、番号や記号で呼ぶようになったことも、名前廃止法を後押しした。出先で「営業部のE205です」と言って名刺交換するのが本当に嫌だった。
国民番号も便利だし、差別は無くすべきだし、個人情報は守るべきだ。そうは思うけど、名前を廃止することはないだろう。
家の中でさえ、親子や夫婦のハラスメントに繋がるという理由で、名前で呼ぶのは禁止だ。政府はアルファベットで呼ぶことを推奨してる。夫婦で「なあK」「なあにT」などと呼び合えと言う。どうかしてる!
玄関のドアを挟んで、黒服と押し問答をしていると、三人目の黒服が現れた。
「あ、これは課長、直々にどうされました?」
「手間取ってるな。私がやるからここで待て」
課長と呼ばれた男は、強引にドアを開けて一人で中に入り、内側から施錠した。後ろにいた妻が、怯えて私にしがみついてきた。
「何をするんだ!」と、私が言うより早く、その男はサングラスを外した。見覚えのある顔。……息子だった。
「……正和」
「しっ! 部下たちに聞こえたらまずい」
「お前、ナトリやってたのか」
「ああ。公務員は、家族にも仕事内容を言えなくなったからね。それよりTさん。もう名前にはこだわらないで。二人が名前で呼びあっているのは、わかってるんだ。ある方法でね。言えないけど」
「なんだ? まさか盗聴か?」
「それより、ここは俺がごまかすから、これ手首につけて。違う質問して記録しちゃえば大丈夫だから。そしてもう名前で呼ぶのはやめてくれ。呼び方なんてどうだっていいだろ。俺にとって大切なのは、ここにいる存在としてのTさんなんだよ」
……息子はいいやつだ。
「わかったよ。それをつけよう」
私は、ウソ発見器を手首に巻くと、息子をかわして玄関のドアを開け、通路に飛び出した。そして大声で叫んだ。
「正和はいいやつだ、愛してる! 妻のあゆみも愛してる! 名前禁止クソ食らえだ!」
通路の黒服二人はびっくりして立ち尽くしていたが、さっきのカンに障る男が我に返り、
「あ、えーっと、名前の不法使用の現行犯ですね。初回なので罰金刑です」
私は手首からウソ発見器を外し、部下の黒服に渡した。
「あ、課長。旦那さんの叫びで鳴りませんでしたね、ウソ発見器のブザー」
息子は少し笑ったように見えた。罰金払い終えたら、息子の言う通りにしよう……。
(了)