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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「博士とロボット」遠木ピエロ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第61回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「博士とロボット」遠木ピエロ

研究部屋は相変わらず雑然としていた。部屋に三つある机はどれも資料がグチャグチャに積まれていて、床一面には何のためのものか分からないコードが絡まり合いながらのたくり、さらには脱ぎ散らかした衣服がそこかしこに放ってある。

そんなゴミ溜めと評しても差し支えなさそうな部屋の中で、博士はモニターに向かっていた。博士はよれよれのシャツを着て、白髪はぼさぼさだった。

「博士、今日のお昼ご飯を持ってきましたよ」

博士はモニターから目を離すことなく、左手で私を手招きした。そしてお皿の上のサンドイッチを探るようにして掴んで、そのまま口の中に突っ込んだ。

「博士、お風呂に入りましょうよ。臭いますよ」

そう言うと博士はモニターの方を向いたまま言う。

「何言ってるんだ。お前には臭いなんて分からないだろう。臭いを感知するセンサーなんて取り付けてないぞ」

確かに私は臭いが分からない。金属で出来た私の顔には鼻がある。ただし鼻の形をしているだけで、匂いも分からなければくしゃみをすることもない。

「それだけじゃなくて、たまにはお風呂にでも入ってゆっくりしてくださいよ。ずっと徹夜続きですよね」

博士はサンドイッチを口の中で咀嚼しながら「わふぁっふぁ、わふぁっふぁ」と返事をした。分かった分かった、と発音しているのだと私の中の回路が認識した。それとあわせて、お風呂に入る気がまるでないことも認識した。

私は話題を変えた。

「博士、前からお願いしている私の名前はいつ決めてくださいますか?」

博士はサンドイッチを飲み込んで私の方を見た。

「またその話か。名前がなくとも不便はないだろう」

博士はキーボードのキーを乱雑に叩く。

「不便だからという話ではないのです。せっかく意思ある存在としてこの世に生まれたからには、名前というものがどうしても欲しくてたまらないのです」

博士はふぅ、とため息をついてから、「しかしなあ……」と苦虫を潰したような顔をして頭をぼりぼりかきながらぼやいた。どうして博士はここまで私に名前をつけることを拒むのだろう。そんなに面倒くさい作業ではないと思う。

博士は何か覚悟を決めたかのような表情をして、口元に手を当てた。そして十秒程してから言った。

「分かった。ロクって名前はどうだ。お前はたしか私が六番目に作ったロボットだ。六番目だからロク」

私は呆れてしまった。まさかこんなに安直に名前を付けられるとは。けれども私はその「ロク」という名前の響きが何となく気に入った。

私はその時から「ロク」になった。

不思議なことに、名前を貰ってから博士の私に対する接し方が変わった。

会話をする時に以前はつれない反応を見せることが多かったが、笑顔を見せてくれることが増えた。

私のパーツの点検も以前より細かくしてくれるようになった。まだ使えるから大丈夫だと私が言うのに、なかば無理やり新しいパーツに交換してくれることもあった。それはまるで親が子供に世話を焼くかのようだった。

私はそういった事実を不思議に思い、博士に直接聞いてみた。どうして私への接し方が変わったのかと。博士は短くこう答えた。

「……名前を付けることでお前に愛着を持つようになったからだろうな」

なぜだか、その時の博士は浮かない顔をしていた。

それからどれくらいの月日が過ぎただろうか。ふと博士が言った。

「ロク」

「なん……で……しょうか?」

「もう……お前のコアは限界だ。自分でも分かっているだろう?」

博士の声は震えていた。

長い月日が過ぎて、私はもう、ロボットとして壊れかけていた。外面的なパーツは交換すれば済むが、コアはそうはいかない。ロボットの頭脳そのものであり、替えのきかないものだ。

視野が狭まり、ノイズが走る私の視覚センサーに、目頭を拭う博士が映る。

「博士、なぜそんな辛そうにしているのですか?」

「お前が死んでしまうのが悲しいからだよ」

博士は続けた。

「名前をつけたら、お前がただのロボットではなく、『ロク』という掛け替えのない存在になることは分かっていた。だから本当は名前をつけたくなかった。お前が死ぬとき、辛くなるのが分かっていたから」

博士は両手で顔を覆った。こんなに取り乱す博士を見るのは初めてだった。いつもずぼらで、何ごともいいかげんで、面倒くさがりな博士が。

「……私は……幸せで……したよ。博士……に……ロク……という名前を……もらえ……て」

言いながら、私の視界に走るノイズが激しくなってきた。

「ありがとう。寂しくて辛いけれど、お前に名前をつけて良かったよ。おかげで幸せな日々を送れた」

「こち……らこそ」

博士は無機質な私の体を抱きしめてくれた。そうして博士の腕の中で、私の意識はパチンと切れて消えた。

(了)