阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「しあわせ家族計画」香久山ゆみ
母は一人で俺を生んだ。俺に父の名を付けた。認知されず、戸籍にも名が載らぬ父のことは確認しようがないが。そんな母を喪った。ようやく社会人になりこれから恩返ししていこうという矢先だった。女手一つで働きづめで育ててくれた無理が祟ったのかもしれない。
これで唯一の血縁は父だけだ。どこの誰かも知れぬ。父について分かることは、俺と同じ名で、二十五年前に生殖能力があり、A型(母がB型で俺がAB型なので)という三点のみ。もしかしてと母の遺品をひっくり返したが、どこにも父を示すものはなかった。一体俺は何をしているのか。目の前の母を悼むこともろくにせず、未だ見ぬ父の影を追って。それほどショックだったのかもしれない。自分が一人ぼっちになってしまったことが。
しかし、そんな俺も運命の女性に出会った。プロポーズに、彼女は涙を流してオーケイしてくれた。結婚の喜びとともに、家族を得ることの安心感が俺を満たした。
だが、そんな幸福感も束の間。彼女の両親へ挨拶に行った際、父親に反対された。いや、直接反対されたわけではない。ただ、ろくに目も合わそうとせず、その態度は明らかに「ノー」だった。何度行っても反応は変わらない。
「何か怒らせるようなことしちゃったかな」
髪を真っ黒に染め直すべきだったか。それとも、お嬢さんを僕にください、なんて古臭い言い回しもよくなかったか。帰り道、反省しきりの俺を彼女は慰めてくれる。
「こっちこそごめんね、なんかお父さん機嫌悪くて。まったく、同じ名前なんだから仲良くしてくれればいいのにねえー」
「え?」
思わず立ち止まった俺に、彼女が振り返る。
「あれ、言ってなかったっけ? 私のお父さんの名前、あなたと同じなんだよ」
へえ、そうなんだ。言いながら顔が凍りつく。彼女が伸ばした手を無意識に避ける。
「ところで、君のお父さんって几帳面そうだったけど、A型だろ」
軽口のつもりが、声が上擦る。
「よく分かったね。全然几帳面じゃあないんだけどね。A型だよ」
その後彼女をアパートへ送り届けるまでどんな話をしたかまるで覚えていない。頭はずっと一つのことを考えていた。
彼女の父親が、俺の父かもしれない。
同じ名で、当時生殖能力があり、A型。条件は合う。いや馬鹿な。考えては否定の繰り返し。だがそう考えれば腑に落ちることもある。だから父は頑なに結婚に反対しているのではないか。俺と彼女が兄妹だから。いやそんな偶然。「寿限無」ならまだしも、「明」なんてありふれた名だ。A型の「明」という男などこの世にごまんといるだろう。しかし。
誰にも相談できぬまま、再び彼女の実家を訪れた。彼女は仕事で遅れ、父親は故意か偶然か出掛けていた。俺は母親と二人きりで居間に座る。母親は社交的な人で、取り留めない世間話を気兼ねなく話す。
「あなた、主人に面立ちが似てるわね。娘はあたし似だから。あの子ファザコンかしら」
何気ない言葉に、茶を噴きそうになる。視線を上げると、穏やかに笑っている。もしや知っているのかと思ったが……。いや言ってしまおう。この世間話の流れで、さらりと。違ったら笑い話になるだけだ。心を決めた。
「あの、実は……」
ずっと悩んでいたことを吐き出した。声も肩も震えてしまった。母親は口も挟まず話を聞いた。話し終えた俺は湯飲みからそっと顔を上げた。母親は微笑していた。
「大丈夫よ」
きっぱり言った。
「ええと、じゃあやっぱりお義父さんは僕の父ではないと」
「たぶんね。でも、万一そうだったとしても大丈夫よ」
「え?」
見つめると、母親は熱い茶をずずと一口啜ってから言った。
「あの娘、お父さんとの子じゃないから」
「え」
「墓場まで持っていくつもりだったけど、それもエゴかと悩んだりしてね。あの娘の夫になる人ならちょうどいいわ。言うかどうかはあなたに任せる」
茶を飲み干すと、明るい口調で続けた。
「結婚は大丈夫よ。女の子の父親なんて皆あんなものよ。娘を奪われて膨れてるだけだから、気にしないで」
朗らかに笑ったお義母さんの予言通り、次の春俺達はめでたく式を挙げた。式の間中、お義父さんの号泣ぶりときたら。
愛情ある母に育てられた俺は、幸せな家庭に育った彼女と結婚した。俺は彼女の両親を実の親のように慈しむだろう。冬には子供も誕生する。そしてさあ、どんな秘密が生まれるか。いや秘密のない家庭を作りたいと願う。
(了)