阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「生きている壺」宇田川優子
大輔が勤務する買い取り専門店『太平堂』は、百貨店の八階にある。そろそろ昼の交代時間、と思ったとき、エスカレーターを昇って来る頭が見えた。茶色く染めたパーマヘア、薄い色の眼鏡。初老の女性だ。カートを引っ張っている。エスカレーターを降りると入口の看板を確かめて、大輔の方にやってきた。
「いらっしゃいませ」大輔は頭を下げた。顔の皺とシミの具合から七十代、と検討をつける。「買い取っていただくのは、ここでいいの?」
どうぞ、と大輔はカウンター前の椅子を勧める。女性はキャリーバッグを床に平らに置き、ジッパーを開け、ヨイショと中から壺のような物を取り出した。「これ前の住人が置いていった物なの。不動産屋さんに言ったら、連絡取れないんでもう処分してくれなんて言うの。売れるものなのかお宅様に一応訊いてから捨てようと思って」
大輔は、捨ててもらった方がいいですよ、と言いそうになるのを抑えた。ガラクタだ。この客が身に着けている物で一番値が張るのは眼鏡だ。とはいえ一応仕事をする。「拝見します」高さ五〇センチほどのテラコッタの壺だった。両手で持ってみると、けっこう重い。「かわった模様ですね」
レリーフだろうか。よく見ると、テラコッタに浮き出ているのは人の顔のように見えて来た。「なんだか、お客様に似ていますね」
客は、眉をひそめて首を伸ばし、壺を見た。「まあ、嫌だ。そんなことあるわけないでしょう」「……ですよね」
所定の契約書を客に記入してもらい、大輔は壺の上下及び三六〇度の写真を撮った。
客が帰ると店長が言った。「なんだ?」「ガラクタです。五〇センチあるので普通に捨てられないから持ってきたのかな」
一週間後、大輔は壺の客に電話をした。留守番電話になっていたのでメッセージを残す。「買い取り値は二百円になります。契約通り、指定の銀行口座に振り込みいたします」壺は預かり品を保管する倉庫に運ばれた。
その年の台風の一つが『太平堂』の倉庫を浸水させた。何人かの社員が、預かり品を避難させるために駆け付けた。店長もその一人だったが、その作業のさなか、浸水した地下倉庫で、脚立から転落して頭を打ち、即死してしまった。前代未聞の事故だった。
緊急時、優先順位が高いのは値がつく預かり品だ。そうでないガラクタは廃棄される。皮肉なことに高価な物が水につかり、ゴミ袋に入れられていたガラクタは無傷だった。例の壺もその一つだった。
店長のあっけない死に実感が湧かない。助かった品々の写真を社内のサイトで見ていた大輔は、例の壺を見ておや、と思った。なんとなく記憶と模様が違う。拡大する。……おかしい。あの時自分は、あの女性客の顔に似ていると思ったのだが。
大輔は、自分の担当する預かり品を確認するついでに倉庫に出向き、例の壺を見た。
今見ると男の顔に見える。しかも……店長に似ている。馬鹿な。おれはどうかしている。
大輔は壺を持ち出し、鑑定士の元に行った。今までの顛末を話すと、鑑定士は壺を検分した。「安物の大量生産品に見えるがね」「でも、この写真を見てください。レリーフが違うでしょう」「壺がすり替わったんじゃないのか?」「そんなことはありません」
鑑定士が言った。「これは迷信の類だから、聞き流してくれていいが、持ち主の手を離れたがらない物があると聞いたことがある。無理に手離すと、祟るというんだね」二人の間に置かれたテラコッタの壺は、全くただの壺に見える。「もとの持ち主はどうしている?」
そういえば、あれ以来あの女客と話をしていない。確か前の住人が置いて行った物で、前の住人とは連絡が取れなかった……?
「もしこの壺が、そういう類の性質をもっているのだとすると、持ち主から離れる時に持ち主の生気を吸い取る」
大輔の背中が急に冷たくなった。
「誰の顔に似ているって言った?」
「亡くなった店長です」
「ふうん……。僕にはなんだか、これ、君に似ているように見えるけどな」
鑑定士が壺のレリーフをこちらに向けた。大輔は壺をひったくり、一目散に駆け出した。
手離さなければいいんだろう――。大輔は壺を会社のデスクの下に置いた。レリーフを見る勇気はなかった。
ある朝出勤すると、デスクの下に壺がなかった。慌てて周りのスタッフに訊きまわると、「廃棄するものだから廃棄した」と新人の一人が答えた。狂ったように掴みかかる大輔を、数人の社員が取り押さえようとして乱闘になった。投げ飛ばされた大輔が床に頭を打ち付けた頃、集積所に出された粗大ゴミを見て、初老の女性が手に取った。「こんなきれいな壺をどうして捨てるのかしら」