阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「いる」巻貝基
つぼ、といっても花が似合う首の長いものでも、仙人が出入りしそうなとっくり型のものでも、耳のような取手のついた、古代の遺跡から出土しそうなものでもなく、醤油を寝かせておくような大きいものでもない、せいぜい子供のいない息子夫婦と暮らすおばあさんが近所の人からもらった梅干しを保存しておくときに使うような、小ぶりのつぼなのだが、そいつが僕の布団にくるまって、天井を見上げているのである。
つぼは、あってないような首の部分を枕にもたせかけ、肩まで羽根布団を引き上げて、じっと天井を見ていたのだが、そのうち暇になったのか、あるいはベランダに鳥でも飛んで来たのか、少し体を回転させて通りに面した大きな窓の方に目をやった。
老人の乗る自転車が通り過ぎた。
つぼは「なあんだ」とでも言いたげにぐったりと枕に頭を沈め、もう一度昼寝をしようかと思ったようなのだが、体を回転させた際に背中と掛け布団との間にできた隙間から冷たい空気が出入りするらしく、体を縮こめて、ブル、と細かく震えた。
僕はつぼのところへ駆けて行って布団をかけ直してやろうかとも思ったが、つぼは突然現れた僕に驚いて死んでしまうのではないか、という不安の方が強かったので、そのまま見ていることにした。
僕の布団につぼが入っていたのは、これが三度目だった。
最初はたしか今日と同じような、空気の冷たい冬の日だった。布団の中を温めようと、風呂から上がってすぐに布団に足を入れたときだった。つま先に何か冷たくて固いものが触れ、一瞬、体の芯に沿ってプラズマのような、縦方向に流れる刺激がやってきて、「うわっ」と声を上げて掛け布団をめくると、そこにいたのがつぼだった。つぼは土の中で越冬する亀のように、布団の中で縮こまっていた。
二度目は、まだ少し寒さの残る六月の夜だった。部屋の電気を点けると、布団の上につぼがいて、薄い掛け布団から顔を出していた。急に辺りが明るくなったことに驚いたのか、つぼはヒュッ、と掛け布団を引き上げた。口の周りの、釉薬を垂れ流したような模様が消えて、全身の白いシルエットが部屋の中にぽっかり浮かび上がった。
そして今日、ドアを開けるとつぼが布団に入ってボーッと天井を眺めていた。僕はゆっくり、なるべく音がしないようにドアを閉めていき、二十センチほどの隙間から息を殺してつぼの様子を眺めることにした。
つぼはしばらく動きを止めていたが、ついに寒さに耐えきれなくなったのか、左右に体を振って頭を枕からずり下げていき、掛け布団の中に収まった。枕には、アザラシの這った跡のような窪みができた。つぼは再び動きを止めた。
掛け布団の口が細かく上下する。
つぼが呼吸をしているのだろう。
布団は人間の目に見えるか見えないかのちょうど境目ぐらいの振動を発している。その振動は次第に僕の呼吸と足並みを揃え、僕の息に合わせて膨らんだり凹んだりし始めた。僕が吸うと膨らみ、鼻から漏れる風に吹かれてひしゃげた。
ス、フウ、ス、スッ、スス、スー。
僕の呼吸とつぼの呼吸が一致する。
つぼは、黒い空洞を枕の方向に向け、横たわったまま呼吸を続ける。つぼの入った布団の口が、少しだけ開いている。
ふと、僕の目が呼吸とともに上下するので布団が動いている様に見えるのではないだろうか、と思い、息を止めてみた。
やはり布団はかすかに丸く盛り上がり、わずかに動いていた。
布団が動かなくなった。つぼが眠ってしまったのかもしれない。
僕はそっとドアを閉めた。
ドアを閉めて二階に上がってから、今までつぼは僕と遭遇しても驚きすらしなかったじゃないか、と気が付いた。