阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「つくも神」南波ななみ
目の前で、小さな女がふんぞりかえって僕を見下していた。少女ではなく、文字どおり「小さな」女だ。古風な刺繍に彩られた茶色いワンピースに身を包んだ細身の姿は、四十代の大人に見える。しかし、その身の丈は三十センチほどしかない。小さな体で、しゃがんで覗き込む僕のことを、見下すとしか言いようのない冷たい視線で睨んでいる。
「それで貴方、私の壺の在処を知らなくて?」
「だから、知らないといっているだろ」
先刻から、同じことの繰り返しだ。見慣れた空き地に見慣れない人形が落ちていると思って近寄ったのが間違いだった。人形と思ったものが、この小さな女だったのだ。
「役に立たないわね。通りすがりにしては勘が良さそうな顔をしていると思ったのに」
「ただの通りすがりだよ。だいたい貴女が何者かも、どんな壺を探しているのかも聞いていないのに、わかるわけがない」
「私はつくも神よ。そのくらい察しなさいな」
そんな無茶な、と僕は頭を抱えた。つくも神と言えば、長く使われた小道具なんかに宿ると言われている神さまか幽霊だかのたぐいだろう。知識として知ってはいるが、まさか空き地で出会った小さな女がそれだと言われても、にわかには信じがたい。それをさらに、察しろなどと言われても。
「つくも神なのに、自分が憑いている物をなくしたってことか」
「なくしたんじゃないわよ、失礼ね。目を離した隙に、どこかへいってしまったの」
それをなくしたと言うのではないだろうか。口にすると五月蝿くなりそうなので、文句は心の中に留めた。
それにしても、つくも神が憑きそうな古い壺などあっただろうか。なくしたとは言え、きっとそう遠くないところにあったのだろう。それなら僕の知る範囲の物かもしれないが。
考え始めたところで、つくも神の着ているワンピースの刺繍のひとつに目がいった。
「珍しいね。青い薔薇なんて」
「あら、なかなかセンスが良いのね。私の柄だと赤い薔薇が目立つから、皆よくそれを褒めるのだけれど。本当は、描いた人が最も心を砕いたのは、この青い薔薇だったのよ。壺の側面に、赤い薔薇に隠れるようにひっそりと描かれた空想上の青い薔薇。素敵でしょう」
「あれ? つまり、そのワンピースの柄ってもしかして、壺の柄なのか」
「当たり前でしょう。私はつくも神なのよ」
言葉の棘に対抗して言い返しそうになったが、すぐに思い直した。ここで口論しても仕方がない。それよりもっと建設的なことをしようと、つくも神をその場から連れ出した。ワンピースの刺繍の柄には、見覚えがある。
「僕の祖父母が住んでいた家の床の間に、そんな柄の壺があったかもしれない」
「まあ。それは近くなの?」
つくも神は出会って初めて、ぱっと表情を輝かせた。大きさが小さいだけのおばさんだと思っていたが、明るい笑顔は、ずいぶんと愛らしい。
「うん。同じ敷地の内だったからね。祖父母の家が母屋で、僕の家が新築の離れといった感じで……だから、この辺りかな」
空き地の端から端に移動して、僕は母屋の床の間があった辺りに広がる黒い土を足でいじくった。正確な間取りを覚えているわけではないが、距離感はこのくらいだった。
「貴方、私をからかっているの?」
「そんなことない。この家は、昨年火事に遭ったんだ。母屋も離れも、蔵まですべて。だから、この家の壺だったなら……」
だだっ広い空き地となった生家を、僕は空しい思いで見渡した。生まれた家をなくしたことは辛かった。拠り所である壺をなくしたつくも神も、同じように思うのだろうか。
彼女は言葉を返さず、おもむろにしゃがみ込んだ。落ち込んでいるのかと思いきや、足元の土を懸命に掘り返している。やがて、僕の掌ほどの大きさの陶器の破片を掘り当てた。青い薔薇の描かれた破片を、小さな体で重そうに持ち上げる。ため息を吐くような細い声で、彼女は呟いた。
「私、もうとっくに壊れていたのね」
「落ち込まないで。きっと貴女に似合う壺がほかにもあるよ。一緒に探そう」
「無茶を言わないでくださいな。この壺は私自身。壺が壊れてしまったのなら、私も」
言葉が途中でふっつり途切れた。瞬く間につくも神の姿も消えていた。壺の欠片は、柔らかな土の上に音もなく落ちた。
「……久しぶりの話し相手だったのに」
彼女にとって壺とは、生家というより命だったのだろう。彼女は神さまのくせに自身の死に気付かない間抜けだったようだ。
かくいう僕も、火事の後しばらくは自分が死んだことに気付かず、家をなくしたことばかり悔やんでいた。間抜けな幽霊同士話が合っただろうに、残念なことだ。