阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「おふさぎさま」雫石鉄也
「お前も十五歳になった。明日からワシといっしょに『おふさぎさま』に行くんじゃ」
じいがいった。
「うん。わかってるよ」
「あしたは、朝早い。早くねるのじゃ」
「おやすみ。じい」
孫の与一が布団にはいったあと、与平はまだ囲炉裏端に座っている。囲炉裏では串に刺さった鮎が焼けた。鮎を食べ焼酎を飲んだ。
「さて、ワシも眠るとするか」
あと一ヶ月だ。これから毎日与一と「おふさぎさま」に行って、神事を執り行う。この仕事は、恒行家が先祖代々執り行ってきた。
「おふさぎさま」のご機嫌を損ねることは、この村落にとって、絶対にさけなければならない。万が一「おふさぎさま」に異変があると、村落住民全員の命に関わる。村落、いや、最悪、この国全体に被害が及ぶおそれがある。
与平の息子、与一の父親の与作は、「おふさぎさま」のお世話によって命を落としたといっていいだろう。
三年前の秋、「おふさぎさま」に大きなトラブルがおきた。そのままにしておけば村が全滅する。与作はわが身を犠牲にして「おふさぎさま」のトラブルを修復した。
与作の死によって引退した与平が現役に復帰した。
「おふさぎさま」は宇空山のの中腹にある。標高七百メートルのところだ。高齢の与平にとって毎日その道を通うのはきつい。しかし、「おふさぎさま」のお世話するのは恒行家の義務である。与作が亡くなればその長男たる与一があとを継ぐべきであるが与一はまだ幼少。やむをえず引退した与平が現役に復帰した。
その与一も十五歳になった。これから毎日、与平といっしょに宇空山に登り「おふさぎさま」のもとに通わなくてはならない。見習い期間は三ヵ月。与一がひとり立ちすれば、与平は、再び隠居ができる。
朝五時。この季節、太陽はまだ暗い設定だ。光源は東の地平線の下だ。
与一が家から出てきた。
「神具は持ったか」
「うん」
「行こうか」
家を出て北に歩く。街はまだ半分眠っている。三十分ほど歩くと山の麓に着いた。この山が宇空山だ。鳥居をくぐると登山道となる。高い山ではないが道の勾配はかなり急だ。
道は何度も曲がりながら標高を上げていく。
最後のカーブを曲がると鳥居が見えてきた。着いた。ここが「おふさぎさま」の社だ。
鳥居をくぐると、大きな社殿がある。金属製で直方体の巨大な箱といっていい。正面にはめ込みの扉がある。
与平が首にかけている鎖を外して与一に手渡した。鎖の先には鍵がついている。
「この鍵はこれからはお前が持て。常に首から下げ、いつかなる時も肌身離さず持っておるのじゃ。さあ、この鍵で『おふさぎさま』の扉を開けなさい」
与一が鍵穴に鍵を入れて回す。
「これで扉は手で開けられる。」
重々しい金属の扉を与一が押すと観音開きに奥に開いた。扉の向こう側には壁がある。その壁は遥か上までそびえていて、壁の上の端と空の区別がつかない。
「これが『おふさぎさま』じゃ」
「この壁が」
「そうじゃ。お前はこれから毎日、ここに来て、この壁に異変がないか点検するのじゃ。ひびが無いか。へこみやでっぱりがないか。特に気をつけなければならないのが穴じゃ。ごく小さな針で突いたような穴があってもいかん。万が一『おふさぎさま』に穴があくとこのワシらの村は全滅する」
「はい」与一は神妙にうなずいた。
恒星間宇宙船「オオヤシマ」はあてのない旅を続けていた。一億人が住む超巨大宇宙船で、いつ、なぜ、地球を出発したのか誰も知らない。
人々は「オオヤシマ」の船内で生まれ死に世代を重ね、千年の時がたった旅のあてはない。彼らにとってこの船が世界のすべてだ。
「オオヤシマ」の壁の経年劣化によって、空気もれを起こすことがある。その区画は密閉され住民ごと廃棄される。
区画ごとに管理責任者がメンテナンスにあたっていた。管理責任者は壁の特に脆弱な個所を重点的にみていた。その部分は時がたつにつれて神聖なものとなった。管理責任者は特定の家の世襲の仕事となった。
「今日も『おふさぎさま』は無事平穏。さて帰るか」