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猫が動く

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猫が動く

北原明良

「にゃうーお、寒いよ、助けてよ」

私にはそう聞こえた。十二月上旬、会社から戻るとノラ猫の鳴き声がした。庭の縁の下をのぞくと、一匹の黒色と白色の生後二、三日くらいの子猫が震えていた。そっと抱いてみると、かわいい顔をしている。

私は自分の還暦祝いとして、妻には内緒で育てる決心をした。それから七年、今はすっかり私の相棒である。そして会話ができるようになってきたので、今までの喜怒哀楽の生活ぶりを振り返ってみることにした。

平成二十四年一月。飼い始めて二カ月目。新聞のペット写真に応募したら、なんと採用され、一躍縁の下から全国区になった。そのことを聞いてみたら、

「あの寒い日に、じっちゃんが手を差しのべてくれなかったら、ボクはこの世にいなかったのさ。ありがとう。でもボクでいいのかな」

恥ずかしいのか、居場所の六畳間の隅に走っていった。

平成二十六年五月。少し部屋の中が私と猫のニオイで妙な感じになってきたので、大掃除をした。すると「ガタッ」と後方で音がした。少し窓をあけていたので、そこから初めての大脱走。

外に出てから三時、五時、そして八時になっても帰ってこない。心配になり、今は猫好きになった妻と近くの公園、商店街と回ったがいない。明日もあるので、窓を十センチ程あけ、一時過ぎに寝た。すると、

「ダーァ、ダーァ、ダーダー」

何か音がした。朝の四時。猫が青ざめた顔で右足爪先から血をにじませて戻ってきた。私もしたことがない、朝帰りだ。

「どどうしたんだい。どこに行ってたんだい」

「ごめんなさい。窓から庭を見ていたら、両親かな。ボクと同じような顔をしている猫が呼んでいたのさ。追いかけていったら、初めてのアスファルトで足が痛くなり、両親はどこかに行ってしまうし、迷い猫となってしまったんだ。まして犬も猫もいない。一匹さびしくマンションの片隅で休んでいたのさ」

「でもよく家がわかったね」

「朝、いつもくる新聞屋の兄さんの姿が見えたのさ。足をひきずりながらついていったら、じっちゃんの家があったのさ。心配かけてごめんなさい」

足の手当てをし、体を拭いてエサをあげたら、苦い思いをして、疲れてお腹もすいていたのだろう、すぐ自分のふとんの上で眠り始めた。

それ以降、庭限定ということで外に出している。決して道路側には行かない。一時間後、散策して真黒になって戻ってくる。今は私が「外に行く?」と言うと、うれしそうな顔をし、短い尾を振って窓から出ていく。

平成二十七年八月。ゴキブリが出た。初めての対面でもある。目で追っていき、その後、戦いムードに入る。私は、ビールを飲みながら野球中継を見ていたが、猫の戦いの方がおもしろそうだ。やはりゴキブリの動きはすばやく、飛んでいく姿に猫は何回もころび、五分後には、大の字になってダウン。今夏は、少し作戦を教えてあげようかな。

皆さんにお伝えしたいことがある。それは平成三十年十二月中旬、寒い日。庭の縁の下の近くに黒色の猫が横たわっていた。母親かと思う。ここ十年程前から近隣、また庭をすまいとしている。子孫も数匹いて、うちの猫もその中の一匹かと思う。

ゆっくり近寄ってみると、固くなっていた。

恐らく老衰かと思う。私は何かの縁を感じ、お墓を作り、マグロを添えた。そのことを猫にも話したら、

「にゃうーおーぉ」

いつもより語尾が長く感じとれた。

平成三十一年二月上旬。久々に関東地方に小雪が舞った。確か五年程前に大雪が降ったときは子猫だったので、静かに雪明かりを眺めていた。今は、立派な大人。二時間程、まるで犬のように庭に積もる雪で戯れ、カゼというおみやげを持ってきてしまった。「ハクション、ニャーゴ」の繰り返しの日々。動物病院も考えたが、部屋を温め、寝るときも私のふとんの中に入れ続けた。

すると一週間後には、私を見つめ、いつものように動き回ってくれた。

よく猫の一歳は人間におきかえると四歳にあたるというが、するとあと十三年後は同じ八十歳になるのかな。それまでは、この六畳間で共同生活を支えあっていこう。

名前は「チュンチュン」。

私似で男前でもある?