阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「散歩の効用」出崎哲弥
(空き家が増えたな)
歩きながら大江は思う。別に限界集落というような土地ではない。頭に「地方」がつくにしても、都市は都市である。過疎化の波が、ここまで押し寄せてきているということだろう。商店街もこころなしかさびれてみえる。
かつて不惑をはさむ数年暮らしたこの町に、大江が戻って、まだ日は浅い。足にまかせて、懐かしい道をあちこち歩いている。
十七年間、他県の似たような都市を転々とした。還暦も近い。昨年、軽い脳梗塞を発症して入院した。皮膚感覚以外まひが残らなかったのが、不幸中の幸いだった。アパートに一人暮らしで、食生活は良好とはいいがたい。健康の観点からいっても、早朝の散歩は、もはや欠かせない。
探しているせいもあるのか、空き家は、すぐに見つかる。あたりまえだが、空き家には生活感がない。家全体がほこりをかぶったようにくすんで見える。築年数とは関係ない。
空き家と見きわめると、多少ずうずうしくなる。立ちどまって、道に面した窓に目をやる。カーテンや障子で視線をさえぎる窓が多い。おそらく防犯のためだろう。売り出し中ということでもないかぎり、わざわざ空き家ですと知らせる必要はない。
カーテンや障子がなければ、大江はそっと近づいて室内をうかがう。空き家なのだから、わいせつな覗き趣味とは異なる。とはいえ、もちろんほめられた行いではない。
たいてい窓のむこうは、ガランとしている。完ぺきな空き家、そう確認すると、大江はさっさと立ちさる。ほっとしたような残念なような気分で――。
その家も一目で空き家とわかった。玄関先に雑草が何本も伸びている。建物そのものはそこまで古くない。こじんまりした和風住宅。築三、四十年といったところだろうか。
大江は植え込みのすき間から窓を確認した。ガラスのむこうに障子がはめられている。その障子に大きな破れ目があった。窓ガラスは割れていない。室内から桟ごとひと握り、もぎ取ったように見えた。大江は、玄関から回りこんで、破れ目からなかを覗いた。
茶の間――。ほこりやくもの巣は、まあ当然として、ひどい散らかりようだった。電話台、サイドボード、たんす……引きだしという引きだしは、開けっぱなしで、中身が床に散乱している。大江は、もう一度障子の破れ目を見た。はっとした。
(そうだ、この障子はオレが破ったんだ)
十八年前の記憶がよみがえった。
――留守を確かめた。皮手袋をはめて、ピッキングで玄関からなかへ。一直線に茶の間をめざした。引き出しを次々あさった。貴金属類は足がつく。現金しか狙わない。茶の間では、めぼしい収穫がなかった。隣の部屋へ急いで移動しようとしたとき、何か丸いものを踏んで、体勢を崩した。とっさに手を伸ばした先が窓の障子だった。大きな破れ目ができた。おかしなもので、平然と空き巣を働きながら、そこだけ罪の意識が生じた。次の間にあった仏壇の引き出しに、ぶあつい茶封筒を見つけた。中身は札束だった。作業着のポケットにねじこんで、さっさと退散した。
この町で最後の「仕事」だった。もっとも、本業はちゃんとあった。今もある。工業高校で取得した資格で、どこの町でもそれなりの職にありついてきた。空き巣は趣味と実益をかねた副業、そう考えていた。
幸いにして、一度も捕まらずにこの歳まできた。逆に不幸だったともいえる。足を洗うきっかけを失った。
入院生活の間に、これまでの人生、残された人生について考えた。潮時だと思った。退院したその足で、「副業」の七つ道具を処分して引っ越した。足を洗うと決めたとたんに、見知らぬ町をめざす気力がなくなった。なぜかまっ先に思い出したのが、この町だった。
住まいと職になんとか形がついたところで気づいた。空き巣が、すっかり中毒化している。禁断症状と闘うことになった。
医師に相談するというわけにもいかない。考えたあげく大江は散歩を日課にした。空き家を探す。可能ならそっと覗く。それを代償行為にして、徐々に空き巣の衝動を抑えていく。そんな目算だった。
(あの日のままの家……)
犬を散歩させる声が近づいてきた。われに返って、大江は通りへ戻った。平静を装って歩き出す。
もともと空き家だったと思いたいが、それは虫がよすぎる。空き巣が原因で空き家になった。そう考えるのが自然だろう。にしても、なぜそのままなのか。住人は? 不安を感じて、即引っ越したか。それともまさか、あの金がよほど重要で、結果追いつめられて……。
めまいを覚えて、大江は頭を強く振った。(今日の散歩は効き目が強すぎる)