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阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「窓」ササキカズト

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第54回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「窓」ササキカズト

私はその日、土曜の休みをアパートでのんびりと過ごしていた。お昼近くまで寝て、一人でゲーム三昧。ポテチを摘まみながら、缶チューハイをちびりちびりとやっていた。

ゲームが一段落したとき、冷房が効きすぎていることに気づいた。夕方近い時間だったので、外も涼しくなっているだろう。窓を開けてみることにした。

まず開けてみたのは部屋の西側のやや小さなサッシの窓。ビルも点在する住宅地なので眺めはいいとは言えない。それでも2階の高さから隣家の屋根ごしに見る空は、青からオレンジに染まりつつあり、美しさを感じるに十分な広さだった。穏やかに吹く風も心地良く、秋が近いことを感じさせた。

ふと、開けた窓の桟に目を下ろすと、小さな白い蛾が一匹とまっているのに気づいた。腰の高さあたりにある窓の桟。窓がスライドするレールのはじの位置に蛾がとまっている。

あまり中に入ってきてほしくないな。虫は別に苦手なほうではないが、入ってきて電気の回りをパタパタと飛び回られても困る。指で外にはじいてやろうか。しかしよく見ると蛾は、枠と枠の間の溝の中に入るかたちでとまっていて、枠がじゃまで指ではじきにくい。そーっと窓を閉めてみると、やはりつぶれてしまうだろう位置に、蛾はじっとしていた。

全然動かないな。このまま閉めて潰してしまおうか。しかし小さな蛾であっても、潰すのは可哀そうだし、何より潰れたら気色悪い。窓を、蛾に触れそうなくらいぎりぎりまで、ゆっくりと閉めてみた。5センチくらい開いている状態。蛾は動かない。随分鈍い蛾だ。

左の手のひらを蛾に近づけ、中に入って来ないように「待った」のような形にしてガードし、窓をさらに少し閉めてみた。蛾は、窓に押されるように何歩か歩いた。ほとんど挟まれているように見えるくらいまで閉めたが飛びたたない。

なんだかやたらと蛾が図々しいように思えてきて、潰してやりたいという衝動が強くなってきた。たかが蛾一匹だ。潰したってどうということはない。

だが私は、小さな虫を殺そうとするときによく、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出してしまう。地獄に落ちた男が、生前蜘蛛の命を助けてやったので、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らして助けようとするという、あれだ。

もちろん私は今まで、ハエや蚊、ゴキブリなど、数えきれないほど害虫を殺してきたし(嫌な言い方だな)、蜘蛛や蛾だって部屋に入ってきたら、逃がさずに処理したことだって何度もある。毎度毎度『蜘蛛の糸』を思い出すわけではないが、生きている虫を潰そうとするようなときは、やはり後ろめたい気持ちを抱く。

今も、この右手でつかんだ窓をもう少し動かして閉めてしまおうかと悩むとき、ちょっとだけお釈迦様の姿が脳裏によぎるのだ。

ああ蛾よ。いつもなら逃がしてやろう。でもお前は頑として動こうとしない。それはお前に非があるというものだ。非があるものをやむを得ず処理する場合、お釈迦様も情状酌量の余地ありと判断される可能性もあろう。蛾よ。何故に今日、この私の部屋の窓に引き寄せられたのか。何故ほんのわずかな瞬間に、中途半端な位置にその身を休めたのか。不運と思い諦めてくれたまえ。

「ふん!」と思い切って窓を閉めた。蛾の侵入を防ごうと添えていた左手の中指が、いつの間にか少し曲がっていて、まずは窓に挟んだ指の痛みで、体が少しのけ反った。そこへ、指のおかげで潰されるのを免れた蛾が、私の顔面目がけて飛んできた。蛾を避けようとしてバランスを崩し1~2歩後ろへ下がったところ、右足でゲーム機を「バキッ」と踏んずけ、結局尻餅をついた。尻の下にあったのが食べかけのポテチの袋だけだったというのは不幸中の幸いなのか。

ズキズキ痛む指を抑え、部屋の中にあの蛾を探すと、ちょうど窓の隙間から外へ飛んでいくところだった。

蛾を恨むべきか。いいや。やはり安易に殺生をしようとした私を、お釈迦様はちゃんと見ていたと考えるべきであろう。しかし殺生未遂に対する罰として、ゲーム機「バキッ」はやや重すぎではなかろうかという不平は感じたが、甘んじて受け入れるほかなかった。

思えば窓から空を見上げたときに感じた美しさは、天にいらっしゃるお釈迦様のそれだったのかもしれない。

ああ、お釈迦様。もう無益な殺生をしようなどとは考えませんので、明日の日曜日こそ、最後まで穏やかに過ごさせてくださいませ。